転倒の話 その① 〜軽く考えてはいけない一回の転倒〜

圧迫骨折

桜井玲奈は書類を胸に休憩室の扉の前を行ったり来たりと忙しない。心の中はそれ以上に忙しない。どうしたものかしら・・・と考えていると、坪井咲夜が通りかかった。

坪井 咲夜
坪井 咲夜

何しとんねん。なんか用事でもあるん?

桜井 玲奈
桜井 玲奈

えぇそうなのですが・・・いや、やっぱりなんでもありませんわ!

坪井 咲夜
坪井 咲夜

ははーん。なるほどなぁ。ほな入ろうか!いこいこ!

と坪井に腕を組まれて桜井は流されるままに休憩室のドアを通る。そこには白波百合と山吹薫が向かい合い、何かを話し込んでいるようであった。

坪井 咲夜
坪井 咲夜

おっすー!咲夜ちゃんやで!・・・って何しとんの?

白波 百合
白波 百合

あっ咲夜ちゃんおっすー!今度退院する患者様の事について話してたっす!

山吹 薫
山吹 薫

また騒々しいのが来たな。桜井も何か用事か?この賑やか娘に強引に連れて来られたんじゃないか?

桜井 玲奈
桜井 玲奈

いいぇ・・・そうではありません・・・事よ・・・

言葉尻に従って言葉の強さは落ちていく。なにをー!と両手を腰に当て仁王立ちの坪井の隣で、桜井は、あぁ薫様とついにお喋りをしてしまいましたわ!と心の中が浮き立つのを感じる。

白波 百合
白波 百合

まぁまぁ。今度退院する患者様は転倒歴の多い患者様っす。その対策を考えていた所っすよー!

坪井 咲夜
坪井 咲夜

なるほどなぁ。何回も転倒して入院される方も多いもんなぁ。退院前の転倒対策は入院中から頭を悩ますもんなぁ。

桜井 玲奈
桜井 玲奈

そうですわ!確か平成27年の厚生省の調査では、高齢者が要介護となる原因の中で、脳血管疾患や認知症の他に転倒と骨折が12.2%も占めますの。これはとっても大きな数字ですわ!

山吹 薫
山吹 薫

ふむ。よく知っている。一度の転倒でも起こしてしまうと入院の必要は無くとも、患者様自身の不安感や痛みによる臥床期間によって日常生活での動作は低下する事も多い。その対策は我々の大きな役目の一つだと言っても良いな。

あぁ薫様に褒められてしまいましたわ!と桜井の心の中はフワフワと天に昇る。正直一人で休憩室に入る事は難しかったけど、この賑やかな咲夜さんが通りかかって正に僥倖でしたと思う。

坪井 咲夜
坪井 咲夜

それにやっぱり多いのが高齢の女性の転倒やな。そしてそれは骨折も伴う事が多いから大変やで。そしてやっぱり女性の方が長生きではあるから、旦那さんに先立たれて一人で生活している中での転倒もやっぱり大変や。

桜井 玲奈
桜井 玲奈

それに骨粗鬆症を患っていらっしゃってたり、お痩せになっている方も多く見ますの。長い年月によって体が衰えて、痩せてしまって起こるべくして起きた転倒もまた多いですわ。

白波 百合
白波 百合

そうっすよね。サルコペニアやフレイルも合併している事も大きな問題っす!もちろん事故でも起きるっすけど、在宅で起こる骨折はやっぱり転倒した事によることも多いっす!

山吹 薫
山吹 薫

そうだな。そしてその多くは大腿骨の頚部、まぁ付け根の部分だな。そうで無くても足のどの部分の骨折でも最初は歩くことが難しい。他にも尻餅をつくと脊椎が圧迫骨折、つまりは潰れることになるから動きが制限されることも多い。

流石に博識ですわと桜井はおずおずと伏せ目がちに山吹へと視線を送る。昔、私達の学校へ授業に来ていた時となんら変わらず素敵な事ですわと思いつつ、まだ山吹の顔を見る事は出来ないのが残念だった。

山吹 薫
山吹 薫

それに転倒は平成22年度の調査では男性より女性の方が起きやすいと言われている。これにはもちろん年齢の影響もあるし、家事や働く機会が多い事がその原因かもしれないな。

白波 百合
白波 百合

そうっすよねぇ。ちゃんと男の人でも家事はしなきゃいけないっすよー!骨折したら殆どの場合には手術をしなきゃいけないから大事っす!家事どころじゃないっす!

桜井 玲奈
桜井 玲奈

それはそうですわね。転倒をきっかけにライフスタイルを大きく変えねばならない事が多いのですわ!例えば長い距離を移動出来なくなったり、二階に上がる事が難しくなったり、骨折もそうですけど、それでも恐怖感が先行して動き難くなりますの

坪井 咲夜
坪井 咲夜

ほんまやなぁ。いっつもデスクに座ってコーヒーを用意してもらって、ええ身分やなぁ。

これは自分で淹れている!と山吹は坪井に答え、してやったりと坪井は不敵な笑みを浮かべる。それを横目に桜井は白波を見る。やっぱりちゃんと勉強はしているようですわ、学生の頃はあんなにぼーっとしたり、眠っていらっしゃいましたのに。と感心した。

山吹 薫
山吹 薫

そして考えなければいけない事は、退院直後にすぐ転倒をする事は少ない。まぁ有る事には有るのだが、そして普段の生活をしている中でも気を付けてはいるから体が衰えたとしてもすぐに転倒する事は少ない。しかしいつも通りでは無い事もあるだろう?

桜井 玲奈
桜井 玲奈

なるほど・・・元々高齢になればご病気を患っていらっしゃる事も多いですし、それに私達も熱を出したらフラフラしますものね・・・

坪井 咲夜
坪井 咲夜

そやな。いつだって絶好調で元気いっぱい!って訳でもないしな。疲れが溜まる事があるやろし、何かに気を取られてしまう事もあるやろしな。

白波 百合
白波 百合

ふむふむ。起こるべくして起きた転倒や事故以外にも、平常とは体の調子が違う時にも転倒のリスクは増えるっすね!みんながみんな、うっかりさんの慌てん坊さんじゃないっすから!

白波は自分に向けられる視線を感じて何っすかー!と声を上げる。まぁそれも仕方がありませんわ。と桜井はため息を吐く。

山吹 薫
山吹 薫

とにかく転倒は予防できる事も多い。そのためにはどんな場所で、どんな転倒が起きているかを知る必要があるな。まぁ僕の経験した事で良ければ伝えようか。

白波 百合
白波 百合

へぇー先輩もたくさん転倒してるんすか?

坪井 咲夜
坪井 咲夜

運動不足で体もひょろっこいからなぁ。骨折したらリハビリしてやんで?

桜井 玲奈
桜井 玲奈

まぁ山吹さん・・・お可哀そう・・・

山吹 薫
山吹 薫

僕が経験した患者様の話だ!僕では無い!

そう腕を組み山吹は眉を釣り上げる。そういえば昔の薫様はメガネを掛けてはおられなかったようですわと思う。だから私が生徒だった事をお知りにならないのかしら?と桜井は人差し指を顎先に当てて首を傾げた。

白波百合のノート 90

・転倒は高齢になればなるほど起きやすく、一度の転倒でもし入院しなくても日々の活動が大きく制限される事もある。

・体が弱って起こるべくした転倒以外にも事故もある。そしていつもと違う体の調子もまた転倒に繋がるから念頭に置く。

・玲奈ちゃんが何故か自分と先輩を見比べているっす。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

【これまでの話 その①】

【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】

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理学療法士。作家。つむぎ書房より『看取りのセラピスト』を出版。理学療法士としては、回復期から亜急性期を経て、ICUを中心に働き内部障害を中心に患者へと関わる。ご連絡はこちらからも→Xアカウント(旧Twitter)@tanakan56954581 他にも多くの小説ストックあります。

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