水分出納の話 その② 〜水分を失って起こる恐ろしい事〜 【山吹薫の昔の話】

山吹薫の昔の話

二人きりのリハビリ室には遠くでサイレンの音が反響している。

すっかりこれもまた習慣になってしまったな。山吹薫はそんな事を考えた。石峰優璃はいつものように緩くなったコーヒーを口に運んでいる。

山吹 薫
山吹 薫

そんなにコーヒーばかり飲んでいたら脱水になりますよ。

石峰 優璃
石峰 優璃

確かにな。中枢神経の興奮作用が有るとはいえ利尿作用もあるのが玉に傷だ。

味では無く成分で語るのだな。と山吹は一度肩の力を抜いて息を吐く。

石峰 優璃
石峰 優璃

それならば脱水症状というのは臨床で良く見る症状の一つだな。体を構成する水分が減少するという事はやはり恐ろしい事だし、自宅生活を続けていてもやはり良く起きる事の一つだ。

山吹 薫
山吹 薫

確かにそれは良く感じますね。夏場とか特に良く搬送されてきましたね。

石峰 優璃
石峰 優璃

そうだな。脱水症状を呈して搬送されてくる患者が増えると、夏の訪れを感じるよ。

山吹 薫
山吹 薫

搬送されてくる疾患で季節感を感じるのはどうなんですかね。

それもそうだな。と石峰は静かに笑ってみせる。確かに黙っていれば進藤の言う通り綺麗だとは山吹は思う。黙っていればだが。

石峰 優璃
石峰 優璃

そして良く見るのは水欠乏性の脱水だな。これは読んで字のごとく水分そのものが減少した事により起こる。例えば排尿の回数が頻回になるから飲水を怠ってしまう高齢者が特に要注意だな。

山吹 薫
山吹 薫

それで、食事にも水分が含まれているんですよね。

石峰 優璃
石峰 優璃

良いところに気がつくな。脱水症状を予防しようと飲水を促す、もしくは補液をしていても食事量自体が低下していると脱水傾向となる事もあるから注意しなければならない。そして水分が出すぎてしまう時や尿崩症や利尿剤が処方されている時、その時には尿が出すぎて相対的に体の水分量が減少する。

山吹 薫
山吹 薫

当然運動に伴い発汗が増えても水分が失われますよね?

石峰 優璃
石峰 優璃

その時にはナトリウムもまた一緒に排泄される。よって水分とナトリウムが同時に失われる。するとだな細胞に含まれるナトリウムが相対的に増えるから細胞の外にある水分が引き込まれてしまう。

山吹の脳裏には漬物を作る工程が浮かぶが、主任の前では口に出せないな。そんな事も考える。

石峰 優璃
石峰 優璃

体から水分が失われるとツルゴールサイン、まぁ皮膚の瑞々しさが失われ乾燥する。そして口も乾いてくる。喉が渇いたという感覚は年を重ねる毎に減少するから、特に高齢者ではその訴え自体がある時や、口が常に乾いているという時には注意しなければならない。それ自体が脱水傾向のサインだからな。そして更に注意しなければならないのは電解質とのバランスだ。

山吹 薫
山吹 薫

ナトリウムとかカリウムといったものですか?

石峰 優璃
石峰 優璃

そうだ。人が生きていくために必要な神経の働き、それに直接影響するもので、体の中では水分が充足する事で適切に動く事が出来ている。脱水傾向だと相対的に電解質の量が増えてくるから神経症状が出現する事もある。

山吹 薫
山吹 薫

吐き気や頭痛、、、そして酷い時には意識障害が出るという訳ですね。

その通りだね。と石峰は答え、大きく伸びをした。その目線の先には電子カルテがいつもある。常に誰かのカルテを見ているな。ふとそんな事が気になった。

石峰 優璃
石峰 優璃

他にも脱水傾向は様々な影響を与える。例えば急性期において呼吸器合併症予防は必要な事だが、痰が乾燥し詰まりやすくなる。それに口が乾いていれば食事の味も変化する。食事量もまた減少する。

山吹 薫
山吹 薫

確かに・・・それに循環血液量自体も減少しますよね。という事は血圧にも大きく影響しそうですが・・・

石峰 優璃
石峰 優璃

そうだな。それが私は怖いよ。長期臥床の状態から離床する際に脱水の傾向であるならば、立ち上がった時に急激に血圧は下がる。心臓やそれらを支配する自律神経の働きが低下しているとそれもまた顕著だ。意識を失う。

山吹 薫
山吹 薫

起立性低血圧・・・と言うことですね。

そう答えると石峰はくるりと椅子の上で方向を変えて、山吹を向き直り足を組む。山吹は何事かと眉を潜めた。

石峰 優璃
石峰 優璃

当然脱水の傾向だと血圧にも影響を与える。血の中に水分が足りな過ぎると必要な血圧も保つ事が出来ない。外傷や出血も並行すると循環血液量の低下に伴うショック状態に陥る。

山吹 薫
山吹 薫

必要な血圧を得られず・・・死に至る事にもつながるのですね。

石峰 優璃
石峰 優璃

そうだな。何もしなければだが。そのために主治医や看護師、そして我々がいるのだよ。

そういう展開の時には自分が何を出来るのかはまだ想像は出来ない。だけども悔しいが先輩たちはそういう場でリハビリをしているのだ。患者が命を失わないために。

石峰 優璃
石峰 優璃

さて新人君。私は基本的にコーヒーばかり飲んでいると言ったな?コーヒーやアルコール飲料など利尿作用を持つものは、いくら摂取しても排泄されて脱水の傾向となる。私はこのままでは意識を失うかもしれない。

山吹 薫
山吹 薫

そんな大袈裟な。何を言い出すのです?

石峰 優璃
石峰 優璃

もし私がそう成ってしまったとして・・・君は私に何が出来る?

石峰はじぃっと山吹の瞳を覗き込む。その瞳の奥底には夜の闇にも似た深い深い闇があって、そこからは何の意図も読み取れない。

山吹 薫
山吹 薫

・・・スポーツドリンクを沢山摂取して頂きます。もしくは大量に輸液をやって頂きます。

石峰 優璃
石峰 優璃

ほうほう。そうかそうか。ならば私は程なくして溢水(いっすい)に陥るかもしれないな。私に何か恨みでもあるのかね?

石峰は意図した答えだったのか、両手を細い腹に当て足をバタつかせながら笑っている。恨みは無いが不快ではある。山吹は口を尊大にへの字に曲げた。

山吹薫の覚え書 9

・水分自体が取れない、もしくは排泄されすぎる水欠乏性脱水とナトリウムも同時に失われるナトリウム欠乏性の脱水がある。

・脱水は血圧はもちろんだが、痰を硬くしたり味覚自体も変化させる。

・何だか主任の掌の上にいるようだ。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』

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