西日の差し込む廊下を、カツカツと激しく靴音を立てながら、坪井咲夜は歩いている。季節は徐々に秋へと近付いて、いつもより僅かに影は長い。
もー!うっとおしーなー!
いいじゃんー。ほらこの前の作戦は上手くいったでしょー?
その話は終わってんねんから。もうええやろ!
ねーいいじゃん。今度はみんなで飲もうよー
あーもう。ほんまチャラいだけの人類はホンマに・・・
坪井は休憩室のドアを開ける。バン!と弾ける音がして、文献を広げる山吹薫と、今まさに菓子を口に、ほお張ろうとする白波百合が居た。
なー百合アンド山吹さーん!コイツどないかしてー
どーしたんすか?あっ沢尻さんお疲れ様っす!
あー百合ちゃん!おつかれー!
今さらっと纏めてたよな?
ふん。と山吹は鼻を鳴らす。坪井は当然のように白波の隣に腰を下ろす。
このチャラいだけの人類が呑みに行こうて、うるっさいねん!
みんなで呑み会っすかー!良いっすねー!
でしょでしょー。ほら咲夜ちゃん!百合ちゃんもそう言ってるしー
よっしゃ!一回ひっぱたく!それなら神も許してくれるはず!
ひゅーぅ!やっちゃう感じー!?
沢尻の返答を聞いて、今まさに手を振り上げんとする坪井を白波は必死に抑えている。
なんだかやたらと騒がしいな。でもそれは良い案だ。一回そいつをひっぱたくのも悪くは無い。
えー薫さんもそう言っちゃう感じー?
そうだ。ついでに今日は痛みについての話をしようか。
ついでにって何なんのさー!
喧嘩は良く無いっすけど、痛みの話は聞きたいっす!
よっしゃ!満場一致でひっぱたく!
まぁまぁ。と白波は坪井をなだめる。やれやれと山吹は文献の束をまとめる。
ひっぱたくかひっぱたかないかは置いておいて、とにかく痛みとは体が侵害された時に生じる異常な信号である事はわかるな。
確かに転んだり怪我した時に痛い!って感じる事っすもんね。
まさに恋に落ちるオレの胸の痛みってかんじ?
ほー。胸に拳を打ち込まれるのがお好みやねんな?
なんだか火に油を注いで楽しんでるっすね。と白波は目を細めて二人のやりとりを見つめる。喧嘩するほど・・・って訳でもないっす。
痛みとは苦痛でもあるが人にとっては重要な感覚の一つだ。
痛みを感じ無いと異常を感じ無いっすもんね。
そうそう。痛い、辛い、きつい、そんな感情は嫌なものだけどね。それで異常であると他覚的にも把握できるから重要なんだよー。
まぁ、痛みを感じ無いと怪我しても気が付かないしなぁー。血が出るのは嫌けどな。
なんか此処で見る咲夜は自然体で良いっすねー。と白波は思う。普段は猫をかぶって、まぁある意味社会人としては正しい事っすけど寂しいものっす。と白波はそうとも思う。
痛みには大まかに、侵害受容器性の疼痛と神経障害性の疼痛と二つに分かれる。
そして侵害受容器性の疼痛は主に筋骨格系が感じる痛みの体性痛と、内臓が感じる痛みの内臓痛に分かれるんだよー。
怪我した時の痛みと、お腹がアイタタってなる時っすね!
体性痛はなんか想像しやすいねんけど、内臓痛ってなんか想像つきにくいねんなー。チャラい人類のお腹をぶん殴ったらええんかな?
ひゅーう!でもそれはほとんど体性痛だねー。
先輩といるのにギャアギャア辛辣に騒ぐ坪井はどこか楽しそう・・・に見えるっすね。と白波は思う。その二人のやりとりをみて僅かに先輩も頬を緩めているように思えた。
体性痛は文字通り筋骨格系、つまりは皮膚から皮下組織、筋肉や骨になんらかの障害がみられた時に感じる痛みだ。今まさに坪井君が沢尻にやろうとしていた事だね。
あぶないあぶない。実際に殴られないのはオレの人徳かな?
いいえちゃう。百合の尽力です。
まぁまぁ。なら内臓痛は内臓に障害があるって事っすよね?
そうだね。よく緊張してお腹が痛くなる。みたいな表現をされるけど、目に見えない分、内臓痛には注意しなければならない。
ふむふむ。と白波は頷いてみせる。そして先輩と沢尻さんが仲が良いのがちょっと羨ましく感じる。
内臓痛は例えば交通事故などの誘因があれば体性痛と共に感知されてもちろん重症だ。しかし、臨床や自宅でもそうだけど腹痛とは内臓痛の事で臓器がなんらかの障害を負っている可能性が高い訳だから聞き流してはいけない。
そうっすね。患者さんがお腹の痛みを訴えてたら心配っすもん。
そうそう。臓器の炎症、つまりは胆嚢炎や結石などの関与も大きいんだよー。高齢者になればなるほど、入院中にお腹の痛みを訴えておかしいなーって思ったら胆嚢炎だったってよくある気がするねー。ねっ薫さん!
そうだな。それに腸管が動きが低下するイレウスなども重篤になりやすい。まぁ何にせよ只のお腹の痛みだとは油断せずに。すぐに相談する事だ。
確かに目に見えへんからリハビリする時には特に注意やなー。早期発見これ大切!ほな!次はもっと詳しく痛みについてよろしく頼みますー。
そう焦るなと山吹は返し、両手を開いていいよーと答える沢尻から坪井は視線を外す。
ふんふん。そして白波は山吹と沢尻のやりとりを見て、いつか先輩とこういった距離でやりとりできたらなぁ。そう思った。
季節は変われど、まだまだ温度までは変わらないものだと。そうとも思った。
白波百合のノート 46
・痛みはまず侵害受容器性の痛みとして、体の痛みとなる体性痛と内臓の痛みである内臓痛がある。
・臨床でも目に見えない内臓痛には注意する。只のお腹の痛みとして判断しない。
・いつか先輩と対等に話してみたいものだ。
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