白波百合の頭の中 その① 〜社会人とセラピスト〜

総論

どうしたもんっすかね。
家のテーブルには先輩からもらった文献の束が積まれている。
読んでみたものの文字が目の上を滑るばかり。

自分で志望したとは言え、こんなに勉強しなければならないと思わなかったのは正直な所だ。

厳しい所だと聞いていたから、それなりに覚悟はしていたつもりだけど・・・・

難しいものっすねぇ。と白波は誰に言うでもなくそう言った。

今まで決して勉強をしなかった訳ではなかった。

それでも就職してからは『セラピスト』というよりも『社会人として』という言葉ばかりを
聞いていた。

組織の中の一人である社会人とし相応しい態度である事。

セラピストとしてなんて言葉は随分と聞いていなかった。

そしてそれをいつしか忘れてしまっていたと思う。

社会人とセラピストは決してイコールでは無い事は、1年目の終わりに
耐えられないほど感じた。

例えば患者にとって必要だと思っていても、それが決して正しいとは評価される事は
なかった。先輩との意向が異なっていれば尚更だ。

例えば文献で正しいとされていても、それは決して正しいと評価される事は無かった。
そして何が正しいとされるのかは、主に先輩セラピストの意向だった。

いくら自分がそうでは無いと感じていても、経験年数に比例するかのようにそれが正しいと
された。それはとても嫌な事だった。

もちろん正しい事も多いし、未熟な自分が間違っている事も沢山ある。

だけどもいくら考えても納得は出来ない事もあるし、それを貫こうとすると
ワガママだ自分勝手だと評価される。

社会人として組織の中で働くのに適していない。そういう評価を下される。

そしていつしか多数の意向を呑み込んで、先輩たちの意向を図りながら発言する。

そうしてやっと社会人として評価された。セラピストとしてでは無くて。

最初は些細な違和感だったけれどそれは過ごす日々に比例して大きくなった。

そして、一人の患者に出会った。家にどうしても帰りたい孫の結婚式に出たいという患者だ。

どうしても家に帰したかった。

でもその人は肺炎を起こして寝たきりになった。冬の事だ。

起き上がる事はできなかった。それでも諦めきれず、せめて何かをしてあげたかった。

だけども『リハビリができる状態では無い。』それが先輩から下された答えであった。

その時は諦めきれず食い下がった。急性期治療に関する文献や科学的根拠を集めた。

だけども先輩の意向と離れていたそれは認められる事は無かった。

『何もわかっていない。』

それが白波に下された評価だった。

何故だと聞いても『答えは自分で考えろ。』との事だった。

そして白波が休みの時にその患者は亡くなった。

病状が安定し回復期病棟へ来て、孫の結婚式に出るためにリハビリを望んでいたのにも
関わらずに。

例えウチが何もできなかったのかもしれない。だけども何かはしてあげれたのかもしれない。

だけども何もさせてはもらえなかった。

それだけが白波の心に残った。

そして回復期病棟ではもう働けないと思った。

山吹先輩だったらどうしただろう。その事を思い出す度に最近ではそう考える。

思えば山吹先輩も同じ先輩なのに随分と違うような気がした。

主観を語ってもそれには根拠がある。理論ばかりで頭でっかちに思えるけれど
本来はそれが正しいのだと最近ではそう感じる。

全てにガイドラインは無くて、答えも疎らだから主観が強くなる。

その人の発言力に比例して。

だからこそ客観的に物事を考える必要があるのだと思う。

どうしたら良いかわからないし、答えもまだ分からないけれど。

・・・難しいものっすねぇ。と白波は誰に言うでもなく再びそう言った。

正直、口ごたえはしても山吹先輩に教わっていると悪い気がしない。
きっと答えが主観でも経験則だけではない、確かな知識に沿った答えがあるからだと思う。

ただ。と白波は続けて思う。あのままじゃ結婚できないすねぇ。と笑みをこぼす。

そして同時にこうとも思う。何故先輩は今の病棟に独りだったのだろうかと。

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