休憩室を出てみると、夜の帳はすっかり降りている。
車線を流れる車の群れは、その灯火で街灯よりも明るい道を作る。
バス停へと向かう百合と別れて、クロスバイクの鍵を外した。
昔から自転車に乗るのは好きだった。道路の狭いこの街ではロードバイクの肩身は狭いけれど、この黒いクロスバイクならば悠々と走れる。そう思う。
自転車に跨り、ライトの光に導かれながら帰路につく。
頭の中には休憩室での情景が浮かんだ。
今まで決して勉強をしていなかった訳ではない。
それはきっと誰でも同じことだろう。
疑問が解けてもその先に進むことは難しかった。
つまり、だからどうするの?
と言うことだ。整形外科や中枢疾患のリハビリテーションを中心とする理学療法士に対して、内科のリハビリテーションを専門とする理学療法士の割合は少ない。
もちろん居ることには居る。だけども大きな病院でもなく、機材の揃った急性期でもない自分たちの病院には殆ど居ない。
皆、必要だと分かっていてもその領域には足を踏み込めない。
故にそれが必要な場面に遭遇すると途方にくれる事がある。
今、何をしたら良いのか。それが解らない。だから手も出せない。
医師がいて看護師も居る。いつしかその状況に頼っていたのかもしれない。
・・・いや正直頼っていたのだろうと思う。
いつしかそれを言い訳にして、自分の無知から逃げていたとも思う。
頼ってばかりでは信用はされない。故にいつまでたっても治療ではなくアプローチとしか言えない。
それが自分の未熟なリハビリテーションとも言える。
信号が赤へと変わり、上代葉月は立ち止まる。
空には綺麗な三日月が笑みを浮かべている。
この明るさならカメラの中に収めることが出来るだろうか。両手で四角を作って笑みを浮かべる三日月をそこに収めた。しかし奮発して買ったカメラは家にある。残念だ。
山吹先輩とは一体何者だろうか。
あの人の語るリハビリテーションは普段目にするリハビリテーションと何処か違う気がする。
身体機能や麻痺の程度を見つつ、患者を望むゴールに導く。
それは同じなのに見ている場所と、考えている事が違うような気がする。
それに自分の事を滅多に話さず、雑談すらも許さない。
そんな先輩だと聞いた。故に怖いと思っている知り合いも多い。
最初、百合が回復期病棟から一般病棟へと異動を希望し、そして直ぐにその希望が叶った時には友人として不安だった。
何が起きたのかは詳しくは聞いていない。だけどもその顔からは笑みが消えていたし、余り他の先輩とも喋ろうとしなかった。
そして異動先には例の山吹先輩が居るのだから尚更心配だった。
けれども休憩室で見る山吹先輩の表情は柔らかく、その正面に座る白波もまた子供のように山吹先輩に懐いている。可笑しいくらいに。
もしあの二人が休憩室を、医療の現場を出たとしたら、どんな会話をするのだろうか。それだけは想像が出来ない。
両手で作った四角の中に休憩室での情景を浮かべてみる。
彩度は高めに暖かい西日の色を色濃く写してみたい。
そして、そこに今日見た情景もまた写してみたい。
上代葉月は笑みを浮かべる。薄い唇は三日月と同じような角度を描いた。
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