いつだってそんな事が起こるのはこういう時なのだ。
静かな病室で坪井咲夜は病室で横たわる女性を見つめる。
口元には酸素マスクとそこからつながる透明な袋が広がっている。
リザーバーマスク10l。その意味は考えずとも十分に分かった。
そしてその女性は自分の実の母だった。
意識も無く、その目はどこを見ているのかも分からない。
「なぁ咲夜!お母さん大丈夫かな・・・先生は覚悟してくださいって言ってはったけど、どないやろ・・・」
「もう!お父さん!そんな情けない事言ったらあかん!」
そやなぁ。と小柄な丸々とした父は額をハンカチで拭う。
主治医の説明の後で病室に通された。ここは自分で働く病院ではないが、その雰囲気は似ている。
普段働く回復期病棟とは違う、どこか消毒液の匂いが流れる急性期の病棟、それだけで心はゆっくりと不安の色で覆われる。
主治医の説明は決して楽観的な話ではない。常に最悪の事態を想定しての話だから、きっと大丈夫なのかもしれない。
確かにそう思える。
だけどもだからと言って安心できるという訳ではない。
父は母の横顔が見える位置まで姿勢を低くして肩を叩いている。
「なぁ!咲夜が来てくれたで!立派なリハビリの先生になったんやからお母ちゃんも大丈夫やで!」
その言葉にぐっと坪井は息を飲み込む。
母は幼い頃に自分の元を去った。華やかな世界を構成するメイクの仕事。
結構有名な人の専属だったらしく世界を飛び回っていた。
それだけ聞くと傍目からは立派に聞こえる。
しかし実の娘の自分からしてみれば、それは家庭を置き去りにしてまでするべき仕事だったのかとも思う。
幼い頃から父は苦労していた。父子家庭であり仕事の合間に自分を必死に育ててくれた。その姿を見て父を好きになる反面、母の事をいつしか憎んでいたとも思う。
誕生日の度に母から玩具や洋服の類が送られてきたが、それを冷ややかな目で見ていたし何の感情も動かなかった。
成長するに合わせて父の代わりに家事をして、いつしかそれが当たり前となった。
父を苦労させないように早く家を出て一人暮らしを選んだのもその性かもしれないと坪井は思う。
国家試験に合格し、働き出した頃に父から母が帰ってきたと連絡があった。どうやら体調を悪くしたらしい。
その連絡が来た時も、大して感情は動かなかった。
それだけの長い時間があった。積み重ねた思いは母と娘の間に、あまりにも大きな壁を作った。
それでもな・・・
と坪井は目の前で必死に浅い呼吸をする母を見る。
「なんで・・・タバコ止めへんかったん?」
絞り出した言葉は皮肉にも非難の言葉だ。
ウチってこんなに冷たい人間やったんやな。
感情の無いアラームの音が流れる余りに静かな病室で、娘と母は静かに再開を果たしたのだった。
【〜目次〜】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
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