街灯も疎らに並んでいて、うっすらと雲を身に纏った月の照らす暗い夜道を山吹薫は歩く。
教えられた店はここのはずだけどな。
黒い木造りのドアには看板もないが、うっすらと『AfterDinner』と刻まれている・・ような気がする。
本当に営業するつもりがあるのか。山吹が扉を開けるとカランと乾いた鐘の音がなる。
おう!いらっしゃい!本当に来るとは思わなかったな!
おいおい。君はうちの言語聴覚士だろう。こんな事して大丈夫なのか?
別に只の実家の手伝いだし、給料も無いから大丈夫だろう。
社会的には大丈夫だろうが、大丈夫か?
何がだ?と進藤守は不思議そうにグラスを磨いている。そうだな。こんなやつだった。と山吹はカウンターチェアーに腰掛ける。黒いコートは取り敢えず隣の椅子に掛けておいた。
病院では顔を会わせるくらいだからな、駄目元で誘ってみたが律儀なやつだ。
君こそ。まぁ退屈なだけだよ。
お前は友達少なそうだもんな。
そもそも新人自体が少ないんだよ。
進藤とは同じ新人として入職した。互いに面識はあったが、こうやって呑みに誘われるとは思わなかった。寂しい訳では無いが同期が居る方が何かと都合が良い。
それでどうなんだ?仕事は順調か?いつもバタバタと走り回っているけどな。
そういう病棟だから仕方が無いだろう。救急科は。
急性期よりも急性期だもんな。で何か呑む?
そうだな。と山吹は極彩飾にライトアップされた酒棚を見る。そこに浮かぶ進藤の細長いシルエットはなんだか怪しく見えた。そうだな。これなんてどうだ?と進藤はグラスに琥珀色の液体を注ぐ。
・・・ウイスキーか?
スコッチだな。結構良い酒だ。
山吹は恐る恐るその液体を口に運ぶ。
強いな・・・
そういう酒だからな。そのうち美味しく感じるさ。
そうだな。こういった事でもまだ新人なんだな。
まぁ何事も初めてはあるからな。
そう言って進藤は自分のグラスにも同じ酒を注ぐ。お前も飲むのかという山吹の問いに進藤は、道楽でやってる店だからなと答える。
互いにゆっくりと酒を口に含み、それと同じ速度で時間も流れる。
なぁ。僕たちはいつまで新人なんだろうな。
一般的には後輩が出来るまでだろうね。
そうだろうけど、主任からそろそろ新人と呼ばれたくは無い。
あぁ!あの小さい主任さんか。良い人そうだな!なんせ可愛いし!部署が違うからまだ話したことはないけど・・・
山吹は首を上げて進藤を見る。こいつはまだ何も知らないのだな。と山吹は目を細めた。
臨床経験年数が全てでは無いだろう。それに僕だって上手く仕事をこなしている。
まぁ只々寝てても年を重ねれば、それなりにベテランと呼ばれる。まぁそう成りたくは無いけどな。
空になったグラスにもう一度進藤は酒を注ぐ。燻んだ匂いがゆっくりと周りを包んでいく。
反面そうでない人もいるだろう。少なくともあの主任さんはそうでは無さそうじゃないか?
確かに完全態の実力主義者だな。・・・となるとまだ僕は認められていない訳か。
完全に認められてなかったら、あんなに夜遅くまで一緒に居ないだろう?
見ていたのか?
そりゃ同期が、しかも新人の分際で可愛い主任さんを口説いているのでは無いかと一度心配になってな。
そうでは無いと山吹は答える。頭の中がぼやぼやと浮ついているのを感じる。呑みに誘ったのはそれが理由かと山吹が合点がいった。
それに可愛い見た目はしているが中に住むのは魔物だよ。手を出そうとするなんて考えただけでも恐ろしい。
魔物?・・・でも正直羨ましいぞ。二人っきりで可愛い主任さんと何を話してるんだよ?
・・・口頭試問だよ。
なんだそりゃ。と進藤は口を軽く開けて見せる。
そんなに興味があるのなら今度一緒に行ってみるか?
おっそれは面白そうだな。言ったからな!忘れるなよ?
両手を大きく広げる進藤を眺めながら山吹は、決してみな迄言うまい。とそう心に決めた。
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』
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