麻痺の話 その④ 〜脳での麻痺のリハビリテーション〜 【山吹薫の昔の話】

山吹薫の昔の話

なんとも不謹慎な事を言うものだと山吹薫は呆れてみせる。もし自分がそうなったらだなんて、、、果たして僕は動揺せずに居られるのかと、正面で薄く笑みを浮かべる石峰優璃を眺めて山吹は目を泳がせる。

石峰 優璃
石峰 優璃

さて意識も十分に無い私に、君は何が出来るのだろうか?

山吹 薫
山吹 薫

そういう事は言わないでください。ですが・・・そうですね、まずは早期離床ですね。脳の循環の安定を見つつ、血圧の指示範囲内で離床を進めます。

石峰 優璃
石峰 優璃

まずはそうだな。目が覚めていなければ運動も何も無い。そして寝てばかりいて肺炎になっても元も子もない。

山吹 薫
山吹 薫

体力も落とせ無いですからね、リハビリ時間だけ起きるだなんて事はさせません。過負荷にならない範囲で病棟でも起きてもらいます。

容赦がないな。と石峰は笑みを崩さ無い。どこか楽しそうにも見えるなと山吹は眉を潜める。

石峰 優璃
石峰 優璃

離床が進んで無事肺炎も起こさずに私は段々目覚めてきたよ。君の指示もなんとなく理解出来てきた。

山吹 薫
山吹 薫

そこからは運動療法です。麻痺の程度を確認し、そして並行して安全に栄養を摂取できる方法を探していきます。

石峰 優璃
石峰 優璃

私の麻痺は思ったよりも重度だな。右の手足は全く動か無い。

山吹 薫
山吹 薫

ならば右肩の亜脱臼を予防するために三角巾を巻きながら、長下肢装具を使用し早期歩行練習を開始します。エビデンスはガイドラインで十分に立証されています。

ほう。と石峰は瞳を丸めて口先に人差し指を丸めて当てる。

石峰 優璃
石峰 優璃

長下肢装具は膝と足首がロックされているから、そのまま歩いていては、いずれ私は膝裏を痛めハムストリングスの緊張は上がり続けるな。

山吹 薫
山吹 薫

・・・確かにそうですね・・ならば立位を取りつつ麻痺した足に体重をかけて、どんどん感覚を脳に届けて賦活します。頸部や体幹といった重力に抗する筋肉もまた賦活します。

石峰 優璃
石峰 優璃

ほうほう。ならばそれが功を奏して僅かに手足に力が入ってきたな。しかしそれはまだ十分ではない、一緒に僅かに動かせる程度だ。

山吹 薫
山吹 薫

必要時に電気刺激を用いて筋肉の収縮を助けて、徐々に重力に打ち勝てるように鍛えます。鍛えるというか本来の動きを思い出してもらいます。手の動きもまた同様です。

山吹は僅かに自分が息を切らしているのが分かる。動悸も速い、昔祖父が発症した時の事も脳裏を過る。

石峰 優璃
石峰 優璃

右手足に力が入って来たが良いが、私は大脳基底核という運動のコントロールする部分が障害されているから、徐々に右手は曲がり始め、逆に右膝は曲がらなくなってきたな。

山吹 薫
山吹 薫

そうなら無いように、力が入り始めた段階で反対の筋肉も使えるように電気刺激を用いながら、日常生活で使えるように練習を行います。もちろん生活指導をしながら、どんどん日常生活で使用してもらいます。可能な自主トレーニングも行ってもらいます。

石峰 優璃
石峰 優璃

ほうほう。それで私の装具は短くなり股関節と膝関節にも力が入ってきた。右手もなんとか動くようになったな。だけどもまだ車椅子でしか移動は難しい。

山吹はそんな姿の主任を思い浮かべてしまい、頭から振り払う。そんな主任は見たくはない。

山吹 薫
山吹 薫

そこから足を踏み出し、体を支える練習を行います。体重を掛けつつバランスをとり、そして健康な方の足で支えながら足を踏み出す練習です。右手での練習も続けていきます。力を入れて日常生活で使えるように。

石峰 優璃
石峰 優璃

君の努力の甲斐があって、私は杖を用いてなんとか歩けるようになったかもしれないな。だけども足を引き摺り不完全だ。

山吹 薫
山吹 薫

装具を使用している限り、前と同じようにとは行きません。なので右の足首を動かす練習、そして装具を外して体を支える練習を進めます。そして徐々に病棟のスタッフに協力してもらいながら、日常生活上でも歩いてもらいます。

石峰 優璃
石峰 優璃

なるほど。だけども私はすぐに調子に乗るからな。勝手に歩き出さないように、しっかりと転倒予防のために指導もしてくれよ。

もちろんです!と鼻息荒く答える山吹に石峰は笑みを浮かべる。

石峰 優璃
石峰 優璃

そうしてなんとか私は歩けている。右手も僅かだが動く。しかし職場復帰などは望めない。もしかしたら失語症を呈していたり、記銘力に問題が見られるかもしれない。

山吹 薫
山吹 薫

それは・・・言語聴覚士さんに頼んでなんとかコミュニケーション手段と、相談員さんと社会サービスの調整を・・・

石峰 優璃
石峰 優璃

それが上手くいったとしても、疾患を皮切りに精神状態が変容しているかもしれない。その時には私は今の私では無くなっているかもしれない。

山吹 薫
山吹 薫

それは・・・・

石峰 優璃
石峰 優璃

私が私で無くなったとして・・・君は私に何をしてくれる?

石峰は仮面のような無機質な笑みのまま山吹を眺めている。その表情からは決して感情は読み取れない。どうすれば・・・山吹は口を開いたまま言葉を失ってしまった。その表情を見て石峰は一度首を横に振る。

石峰 優璃
石峰 優璃

・・・という風に麻痺だからといって運動に関連する機能ばかり見ている訳には行かない。考えるべき事は沢山ある。歩けるようになるだけではダメなのだよ。勉強になっただろう?

山吹 薫
山吹 薫

それはもう・・・重々と・・・

言葉少なく山吹はそう返す。これではグウの音も出ない。主任が主任で無くなる、少なくともそうなった時に自分はきっと何もできない。それでも・・・と言葉を探している内にリハビリ室のドアが開く音がした。

内海 青葉
内海 青葉

あれー主任ちゃんと新人ちゃんじゃーん!また勉強かなー?

石峰 優璃
石峰 優璃

たまたま新人君が早く来たからな。ようやく私も目が覚めたよ。

山吹 薫
山吹 薫

僕は頭がもうパンクしそうですがね・・・

岩水 静
岩水 静

ぬぁっはっは!まだまだ仕事はこれからだぞ新人!

なんだいつもの朝ではないかと山吹は目を細める。賑やかになったリハビリ室の中で山吹はもう一度ため息を吐く。本当にこの主任は偶に不謹慎な事を言う。

ただ穏やかな朝に不釣り合いな胸の動悸は、いつまでも山吹の心の奥底に残響の様に残り続けていた。

山吹薫の覚え書 31

・早期離床、早期歩行ばかりでは無く日常生活への動作の汎化を行なっていく。転倒予防もしっかりと指導し、単純な運動も段階的に進める。

・動作だけでは無く精神面や高次脳機能も加味して介入を行う。

・やはり僕はまだ主任に何も出来ない。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』

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理学療法士。作家。つむぎ書房より『看取りのセラピスト』を出版。理学療法士としては、回復期から亜急性期を経て、ICUを中心に働き内部障害を中心に患者へと関わる。ご連絡はこちらからも→Xアカウント(旧Twitter)@tanakan56954581 他にも多くの小説ストックあります。

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