これからの話 〜自分の過去と向き合う感情〜

総論

山吹薫は早朝の休憩室のドアを開けた。空調のスイッチを入れるものの冬の寒さは休憩室にも流れ込む。

電気ケトルで湯を沸かし、インスタントコーヒーで底が埋まった黒猫のマグカップにそれを注ぐ。酸味を含む香りが辺りに漂いそれを一口含んで一息を着く。

白波がこの休憩室を訪れるまで後30分はあるだろう。

誰もいない静かな休憩室は、昔の救急科のリハ室と何処か似ている。そう思ったが、いや違うなと僅かに笑みを零す。

そこにはいつも指導者が居た。自分が帰る時と同じ姿勢でデスクに座りカルテや文献を読んでいた。まるでそこに住んでいるかのように、その成人しているか怪しく思えるほど幼く見える主任は、いつもと変わらずに腕を組んでいた。

随分と最近は昔の事を思い出す。それは十分に自覚していた。

それはきっと成長していく白波の姿を過去の自分と比較して、そしてそれを指導する自分の姿を指導者と比較しているからだと分かっている。

自分の発する一言一言は指導者の姿を投影していて、そしてそれを聞く白波の姿を過去の自分と比較する。

結局前に進んでいても、追っている姿はかつての指導者なのだから結局は前に進んでいない。そうとも思えて心底嫌になった。

思い出とは厄介なものだと思う。学んだ知識だけ残して消え去ってしまえば良いとも思う。なぜならそこには感傷もまた必ず同居するからだ。

さよならも言わずに消え去った指導者は今何をしているのだろうか。

それを知らずに過ごす日々は結局の所の昔の自分から何も変わっていない。

ならばどうすれば良いのか。その答えは全くもって浮かばない。

感情など邪魔だと思っていた。その感傷は思考を鈍らせてしまい客観的な評価が行えない。故に邪魔だと思った。

白波に出会う前までは。

白波の患者様への関わり、自分や友人たちとの関わりを見ているとその考え方は容易く揺らいだ。

患者様は人間だ。そして私達も人間なのだ。

ヒトを私達が生かす話ではなくて、ヒトが生きていくための話をしよう。

その言葉の真意は分からなかった。だけども白波を見ていると、自分よりも遥かにその答えに近い場所にいる。指導者と近い場所に。そう思えてしまう。

ふん。と山吹は一度鼻を鳴らして黒猫のマグカップをデスクに置いた。揺らぎながら立ち上る白い湯気が、自分の感情もまたそうであるかのように、立ち昇っては消えていく。

少しだけ昔の話をするかな。

決してそれは白波の中に答えを求めている訳ではない。

ただそう思っただけだ。昔の僕が今の僕になったそんな話を。

ぼんやりと考えていると、休憩室のドアが鳴った。

さて。楽しいリハビリテーションの時間だな。

声色も朧げな遠い昔に聞いた言葉を心の中で反芻してみる。

そして僅かに期待している自分の気持ちには目を背けた。

これは今尚続く・・・僕の昔の話なのだから。

『内科で働くセラピストの話』【山吹薫の昔の話】

コメント

タイトルとURLをコピーしました