坪井咲夜の暇な時 その⑧ 〜母と私のリハビリテーション〜

総論

坪井咲夜は母の病室の前で立ち止まる。

手には心なしかのお見舞い、食べられるかは分からないけれど、その小包をぎゅっと握る。

たった一枚の扉が果てしなく分厚いような気がした。

それでも・・・と坪井咲夜は思う。

あの普段は器用な男の不器用な仕草、言葉にならない沢尻悠の言葉を聞いて、自分が何をするべきかは分かった。

分かっているのに・・と坪井は思う。こんなにウチ・・弱かったっけ。

とちょっとだけか肩を落とす。

「どうかされましたか?」

凛とした声が背中か響く。振り向くと自分と同じ視線、・・・であるから普通の人より小柄なワケだけど、そこにはかつてICUで母のリハビリを担当していた、成人しているかも怪しいほどの幼い顔立ちをしたセラピストが、長い黒髪を揺らして首を傾げている。

本当によくできた陶器の西洋人形のように整い、そして触れたら壊れてしまいそうなほど白くて脆い顔立ちをしていると坪井は思わず見惚れてしまう。

「あぁ思い出した!君は彼女の娘さんだね。いつか私のリハビリを見ていただろう。参考にはなったかな?」

朗らかに咲いたタンポポのように無邪気な笑みを浮かべつつ陶器のような彼女はそう答える。その言葉に坪井は何度も緊張しながら頷く。

「もっちろんです。めっちゃ参考っていうか、程遠い世界過ぎて何してはるんかは分からへんかったけど・・・すっごかったです!」

そうかそうかとその女性は満足そうに頷く。

「分からない事が分かったって事は、きちんと学んでいる証拠だ。ただの離床でもそこに辿るまでのプロセスはまた違うものだ。まぁそのプロセスを言語化するまでが大変なのだがな」

どっかで聞いたような口ぶりやなと坪井は首を傾げる。

「それでは家族の邂逅に私は邪魔は出来ないな。あぁそうだ。まだ腹式呼吸が上手く出来ないような。あと禁煙の指導。頼むよ」

そう言い残すとその女性は踵を返して、驚くほど早い速度の歩みで姿を消した。

・・・なんか背中を押されてしもたな。

ふむ。と坪井は一度頷き扉を開ける。

「オカン!見舞いに来たで!」

開かれた扉と共に窓から風が差し込み、うっすらと背景を透過させるレースのカーテンが揺れる。気怠そうに窓の外を眺めている妙齢の女性、紛れもな母の姿であってその横顔は昔から変わってはいない。

「ははは!随分な物言いだねー。それに随分と大きくなった」

まるで他人事のように頬杖を付きながら、掴み所の無い言葉で母はそう言った。部屋の中に流れ込む淡い風に吹かれるようにお互いに存在していた分厚い壁までもどこかに消えていったような気がした。

「なんや他人事みたいに、死にかけてんねんで!」

「そうらしいなぁ。私は意識がなかったからな。だけどもあのリハビリの先生と一緒にベッドに腰掛けて、咲夜の顔は見た気がするよ。」

ほんまにもう・・と坪井は目尻が熱くなってくるのを感じる。

たった一言でもその中に内在する想いの容量は果てしなく重い。

「ほらならその先生に迷惑をかけんと!腹式呼吸の練習や!あとタバコはもう絶対あかんで!」

「すっかり咲夜もリハビリの先生じゃないか。まぁ苦手だけどやらなきゃねぇ。それに禁煙する事はキモに命じたけど、口が寂しいのもなんだかねぇ。」

全く口の減らへん母親やな。と坪井は手に持つ包み紙を広げる。

「なにそれ?」

「まぁそんな事やろうと思って買ってきたわ。糖尿はさすがにあらへんな?」

「むしろカロリーをもっととれと言われているよ。普通の生活はこんなにも大変なんだな。」

せやで!と言いつつ、広げられた包み紙の中身を見て、母は笑みを浮かべる。そこから取り出された、ココアシガレットを手でもて遊びんながら表情を和らげる。目尻に刻まれたその曲線は、記憶の中の母から随分と年月を感じさせた。

「ははは!なるほどね!これなら怒られないし、何よりカロリーも取れる!」

「でもちゃんと三食きちんと栄養をとってからやで!そもそもCOPDとはな・・・」

どこかで聞いた事のある口調で話されるその言葉に母は目を細めながら耳を傾けている。

なんだ単純な事やったんやな。と坪井は言葉を切って天井を見上げる。

まったくあの器用なのに不器用な男にもなんかお礼せなあかんな。

なんか好みでもあんのやろうか?なんでも食べそうやけどな。作り置きでも持ってってやるかな。多分あんなに痩せっぽっちなんやから適当な生活してるんやろ。

そう思考を巡らせていると、母は目を細め大きく笑みを浮かべつつ

「なんなん?好きな子でも出来たん?」

その言葉に坪井はため息をつく。

「あんなぁ。これでもええ歳の大人なんやで。身長はそんなに伸びひんかったけどな!」

そうだねと答える母の言葉はゆっくりと心の中に沈み込んでくる。

それでもまぁなんというか。

人も環境も変わるもんやな。いや・・・変えられるもんやな。

そんな事を考えた。

【〜目次〜】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

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