さてさてなんと答えるかな。石峰優璃は目の前で額に手を当て悩む山吹薫を見つめる。
さぁさぁ。君が悩んでいる間に私はすぐに衰えてしまうぞ?
そんな事は無いでしょう。患者であれば別ですが。そうですね。まず脱水の時にはやはり生活指導が必要ですね。飲水を心がける。そしてしっかり食事を摂れているか。逆に尿量が過度に増えていないかを確認します。
ふむふむ。確かに最初は状態の確認からだな。運動負荷も調整してくれよ。血圧がきっと保てないだろうから。
主任なら大丈夫でしょうけど、患者様ならそうですね。経口から飲水が難しいならばチームで相談し輸液も必要ですね。でも僕らに出来るのは運動負荷による状態の変化を報告し、情報を共有することですね。特に血圧の変動と意識レベルの変化には注意します。
言ってくれるな。と石峰は微笑んでみせる。現代では状態にもよるが、治療が済むまで何もしないという訳にはいかない。安静が逆に毒となる事も多い。
君の生活指導や運動負荷の調整、運動による症状のモニタリングによって脱水が改善傾向だとしよう。なら私が今度は溢水の状態になったらどうしようか。
それなら、やはり治療に並行しての介入を行います。血圧の変動もですが呼吸状態の変化にも注意します。呼吸苦が出ない範囲、もしくはお話ができる程度の運動を提供します。
もちろん主治医と相談しながらだな。適度な運動は体に血を巡らせる。それに治療の必要性から体の力が落ちてしまうと、もう一度生活を開始した時に再度心臓や腎臓への負荷がかかる。以前では当たり前だった事だがな。
そうならないように、体力を低下させないように、そして体の負担にならないように、状態を常に観察して運動療法を行う訳ですね。・・・なんともバランスが難しそうです。
だから運動処方というのだよ。と石峰は続ける。医師より運動療法を任されているという責任は重い。主治医の行う治療の一翼なのだから。
そして君の運動療法が功を奏して自宅退院が決まったとしよう。しかし私が患う前の生活を続けるとして再発するかもしれない。
やはり生活指導はしっかりと行います。脱水にならないように定期的な飲水とリスクの説明。食事の事もそうですし発熱後に関してもしっかりと水分を取る事を伝えます。そして心臓や腎臓といった場所に疾患があるのなら、退院前に体力をしっかりと評価して定期的な運動を指導します。
ふむふむ。しかし私は見ての通りに限度があまり分からない。リハビリの先生に運動しろと言われたら多少の無理をしても運動は続ける。
それならやっぱり疾患の理解が必要でしょう。理解できるように説明します。
山吹は眉を吊り上げそう言い切る。そしてその後、はっと目を丸くして石峰の目を覗き込む。何とも分かりやすいし容易い新人だと石峰は笑みを浮かべる。
今君が言った様に、医療従事者以外に病状を理解してもらう事は再発予防に必要な事だ。そしてそこから生活指導を行う事でより理解は深まる。
こうやって主任に説明する様にですか?
まるで話をする様に相手に伝える。分かりやすい資料があれば尚良いし、今の世の中は調べれば直ぐに出てくる。だけども誰もが調べてくれる訳ではないからな。
だから主任は僕にこんな説明させるのですか?
半分正解だな。と石峰は言葉に出さずにそう思う。もう半分は自分でも良く分からない。
まぁとにかく水分の出納、in-outバランスは入院中でも在宅生活中でも常に意識しておく事に損は無いよ。案外バイタルサインに大きく影響する部分でもあるからな。
血圧上がり下がりやそれに伴う脈拍の変化ですね。脈が早くなって不整脈が出るかもしれ無いですから。
それに直接呼吸にも影響する事がある。息切れや倦怠感が出てきても大変だからな。
何事もちゃんと理解して、いよいよ悪くなる前の早期発見と早期治療が必要なんですね。そしてそれを教える事、知る事が必要なんですね。
何かに気がついたのか新人の目が輝いている。なんともまぁと石峰もまた目を丸くする。不機嫌そうな顔ばかりしていると思ったが、こういう顔も出来るのかと思うとなんだか可笑しかった。
まぁそういう事だな。といっても私もまだそれについては、トレーニング中ではあるのだけど。
なら初めからそうと言ってくださいよ。
何もかも全て教えて貰うのではなく、自分で考え気が付く事も必要だからな。まぁ気が付いてよかったな。新人君。
なんだか随分他人事ですね。
そしてまた不機嫌そうな顔に戻る。なんとも表情の変化が乏しい様で、賑やかな奴だと石峰はそう思う。でも結局つまりそういう事だ。
まぁ今回の事は進藤にも教えてやりますよ。知ってます?あいつ週末は実家のBARを手伝ってるんですよ。変な奴でしょう?
ほぅ!それは興味深い。早くにそれを知っていれば良かったぞ!
興味があるのなら今度一緒に行きましょうか。偶には主任らしく部下に奢ってくださいよ。
はっは。まぁ考えといてやるかな。
口をへの字に結んだ新人を眺めつつ、石峰はそういえば誰かと呑みに行くのは初めてだな。何時も独りが好きだから。自分の返答に疑問を浮かべながら、石峰はカルテの電源を落とした。
山吹薫の覚え書 11
・常に水分の出納には気をつける。運動負荷時の状態をモニタリングしつつ情報の共有を図る。
・患者教育をする上で疾患の理解が必要。そしてそれを分かりやすく伝える事もまた必要。
・主任を呑みに連れていく。あわよくば奢ってもらう。
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』
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