脳卒中の話 その⑦   〜リハビリ以外の大切なリハビリ〜  【山吹薫の昔の話】

山吹薫の昔の話

山吹薫はカルテを打ち終わり大きく伸びをする。

とにかく今受け持っている脳卒中後の患者様の無事離床が安定し、一段落だなと腕を組む。

内海 青葉
内海 青葉

あれあれー?そんな気の抜けた顔をしてどうしたの?新人ちゃん?

山吹 薫
山吹 薫

別にそういう訳ではありません。でも無事離床は安定しました。開眼する時間も増えています。

そっかーと、奇妙に大きく体を傾けながら内海青葉は山吹の後ろからカルテを覗き込む。どうしてこうも気配を消せるのかと、山吹は眉を潜める。そしてそんな背中を吹き飛ばしそうな程の、怒号にも似た声が響いた。

岩水 静
岩水 静

ふむふむ。なるほど。随分と順調なようだな!

山吹 薫
山吹 薫

岩水さん、声が大き過ぎます。

内海 青葉
内海 青葉

そうだよー。患者さんの覚醒を上げるには有難いけどねー。

なんだ揃って、と岩水静はその天をも突かんとする巨躯のままに腕を組んで首を傾げる。どうやら自覚は無いのだなと山吹は目を細める。

岩水 静
岩水 静

それで手足を動かす練習と並行して、車椅子に起きる習慣も付いて来たようだな。さてこの後はどう進めるのだ?

山吹 薫
山吹 薫

これからは手足を動かす、特に座ったり、立ったりと日常生活を取り戻すための練習を中心に行っていこうと思ってますよ。

内海 青葉
内海 青葉

ふんふんー?ならそれは何を目的に行うのかなー?

山吹 薫
山吹 薫

それはもちろん。歩行能力の獲得を目的に・・・

と答えつつ我ながら随分歯切れの悪い回答だと山吹は思う。内海はふーんと反対の方向へと体を大きく傾ける。

内海 青葉
内海 青葉

そうなんだー?なら例えば自分で車椅子に移るとか、トイレへ行くとか、病棟で行う日常生活はどうなのかなー?

山吹 薫
山吹 薫

それは・・・

岩水 静
岩水 静

ふはは!まだまだ甘いな!もちろん患者様の元の生活に戻るための能力を得るのは必要だ!だけどもリハビリ中にどんなに動けても、病棟の生活場面で何もしなければ何の意味も無い!

山吹 薫
山吹 薫

確かに、四六時中リハビリをする事は出来ませんしね、それによくよく考えてみると1日の大半を病棟で過ごす訳ですから病棟生活で使えていなければ効率も良くありませんしね。

それだけかなー?と内海は両手で自分の頬をぎゅっと抑える。その行動の意図は分からないが、確かに先ばかり考えていると山吹は自分を戒める。

内海 青葉
内海 青葉

順を追って考えてみようかー。例えば今新人ちゃんの患者様はどうやって寝起きをしているの?

山吹 薫
山吹 薫

今は右の手足が使えませんから、僕が全てお手伝いをして車椅子に起きて頂いています。

岩水 静
岩水 静

ふむふむ。ならば車椅子に起きる時にはどうだろうか?

山吹 薫
山吹 薫

右の手足は麻痺していますが、左の手足で僅かに手伝ってくれる事もあります。なので仰向けから寝返って、起き上がり、車椅子に乗る動作もその都度練習してますよ。

内海 青葉
内海 青葉

なるほどねー!なら病棟のスタッフはどうしてるのかな?

それは、と山吹はその問いに答えようとして口を噤む。それを見て内海は奇妙に口角を上げて、岩水は不服そうに吹き飛ばしそうな程の鼻息を吐く。

内海 青葉
内海 青葉

全てのスタッフがリハビリを行える訳じゃないからねー。

岩水 静
岩水 静

そうだ!しっかりとリハビリ中ではなく、病棟でどうやってどの程度の力を込めて生活をしているのかを把握する事が必要だ。その情報を擦り合わせなくては、悪戯に介助量を増やしたり、患者様の日常生活内で行おうとする動作を阻害する。リハビリに依存する状態を自ら作り出してしまうのだぞ!

山吹 薫
山吹 薫

確かにそれは上手く連携を取れていませんでした。その情報を共有して、日常生活全体がその人のリハビリになるように気を配る必要がありますね。

そう答えつつ、こんなに素直に返答出来ている自分に驚いた。まぁ普段からこうも実力差を見せられていれば当然かと山吹は思う。

内海 青葉
内海 青葉

それに病棟での生活を見ていると、その後の退院してからの生活もまた考えやすいからねー。病棟で出来ていない事が自宅でもできる。なんて事は少ないからねー。

山吹 薫
山吹 薫

そうですね。病棟で車椅子であれば当然自宅で歩いて生活するだなんて考えにくいですし、トイレや浴槽でふらつき、手すりを使用しているならば自宅でもその生活を提供する必要もあります。

岩水 静
岩水 静

それに入院期間中でそれが達成できなくても、病棟でどうやって生活している事を把握する事は、その後の生活指導や、在宅でリハビリを継続する際に情報提供という形で役に立つ。

内海 青葉
内海 青葉

それに家族さんも実際に病棟で生活している姿を見ながら、自宅での生活もまた想像を出来るからね。いくらリハビリ中に歩く練習をしていても病棟生活で寝たきりだったら家での生活もこれで大丈夫だ!だなんて思わないでしょ?

確かにそれはそうだと山吹は思う。そして自分のデスクに置かれた文献をちらりと見る。そこには歩行に関するアウトカムに付いて書かれた文献ばかりだ。

内海 青葉
内海 青葉

こうやってリハビリを進める事も凄く大切だけど、実際にリハビリの成果が病棟生活場に活かせているかや、患者様やそのご家族の気持ちの動きにも注意深く気を配る必要があるからねー。

岩水 静
岩水 静

リハビリの結果だけで物事は決まらないからな。退院を決めるにしても主治医はもちろんの事、病棟や家族の意向ももちろん必要だ。そのためにリハビリの成果を病棟で行えるようにしっかりと練習しなければならない。

山吹 薫
山吹 薫

確かに自身のリハビリの成果だけを見ていては、独りよがりのリハビリになってしまいますね。気をつけます。

それは良きかな!とぬははと笑い声を挙げる岩水と奇妙に体を曲げる内海、いつもの情景のはずなのに、やはり気持ちには穴が開くなと山吹はカルテに再び視線を戻しつつそう思った。

山吹薫の覚え書 38

・リハビリの成果は病棟生活に活かしていく。そのために密な情報の共有が必要である。

・リハビリだけではなく病棟や家族の気持ちにも気を配る。運動能力だけで退院は決まらない。

・やはり何か物足りない。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』

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理学療法士。作家。つむぎ書房より『看取りのセラピスト』を出版。理学療法士としては、回復期から亜急性期を経て、ICUを中心に働き内部障害を中心に患者へと関わる。ご連絡はこちらからも→Xアカウント(旧Twitter)@tanakan56954581 他にも多くの小説ストックあります。

ちなみに千奈美さんの第一話はこちらから

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