ふぅ。と白波百合は病院の廊下を歩きながら、両手に抱えた書類をぎゅっと抱き締める。なんとか勉強会のスライドは完成した。それもあの見知らぬ岩水静さんというおじさんのおかげっすね。と笑みを漏らす。だけど最後のまとめのスライドだけはまだ白紙のままだ。自分の最後に伝えたい事がどうしても言葉になってきてくれない。そう考えながら歩いていると病院の玄関でばったりと山吹薫と出会った。
どうしたんすか?珍しい所にいるっすね!
まぁ今日のカンファレンスに訪問リハの人がいらっしゃるので挨拶をとな。それで勉強会のスライド作りの進捗はどうだ?
もちろん大丈夫っす!まぁ途中見知らぬおじさんに教えて貰ったっすけど・・
ん?奇特な人もいるもんだな。なら今度は発表前にまずは僕に見せてくれよ。
もちろんっす!と白波は返事をする。なんかそれもまた緊張するっすねと思いつつ、病院の玄関から溢れるエンジン音に視線を向ける。そこには跨る原付が非常に小さく見えるほどの屈強な身体つき、そして巨大な山を思わせる様な姿が見えて白波はぴょんと僅かに跳ねる。その男は病院の玄関を通り白波と山吹の前に姿を見せた。
あっ!あの人っす!この前スライド作りで悩んでいたら教えてくれた優しい訪問リハのおじさんっす!この前はありがとうございました!おかげで自分なりにはしっかり出来たっす!
おやおや。この前の悩めるお嬢さんではないですか。それなら良かった!こちらも久しぶりに若いセラピストとお話し出来て楽しかったですよ
白波君・・・もしかしてさっき君の言っていたおじさんって人は・・・・
フハハハ!後輩の前でその様な腑抜けた顔をするとはなんとも情けない!未だにそんなひょろっこい体をしおってからに!鍛え方が足りんな!
見上げるほどの体躯で両手を組んだままに、大きく笑う岩水静とその正面で固まる山吹を白波は交互に見比べる。
へっ?お二人は知り合いなんすか?
知り合いというより・・・なんというかかつて同じ職場の先輩だ。
ふん!そういう所だよお嬢ちゃん。まさか新人の後輩だとは思わなかったがな。フハハハハ!現実はやはり小説より奇なりだな!そしてお前に少し頼みごとがあるんだが良いか?嫌なら断っても良いがな!
と言いつつそんなつもりはないでしょう。お話しだけ聞きましょうか。
この僅かな時間で何だか先輩がぐったりとしているっすと白波は目を細める。そしてこの優しいおじさんもまた先輩の先輩なんすねぇ。と胸がどきどきした。
今度ここの回復期から退院して、うちの事業所の訪問リハビリを受ける方がおるのだがその人についてだがな。脳梗塞後、右麻痺の方で屋内の移動は自立しており嚥下機能も良好だ。ただもう少し麻痺が残っていてその機能をもっと上げたいのと、自宅周囲の移動を安定したいという要望がある。しかしその脳梗塞の発症起因には発作性の心房細動があり、心エコーの結果ではSeverのASがある。そして80代という高齢だから手術も望んでいない。どういう事か分かるな?
なら問題も重たる所は、片麻痺というよりそっちのようですね。まぁ動作が安定していて在宅で今後活動性が上がっていくなら尚更です。
ふーむ・・・でもリハビリの進捗は十分で自宅でリハビリを継続していきながら生活も出来そうな気もするっすけど・・・そして情けない事にASって何っすか?おじさ・・・いや岩水さん。
いやいやおじさんのままで良いよ。まるで足長おじさんのようで気分が良いからなぁ!そしてASとはaortic valve stenosis の略語で大動脈弁狭窄症と呼ばれる。まあ心臓から出た血液が最初に通る関門である大動脈弁が動脈硬化や高齢化に伴い石灰化、つまりは固くなるという事で、severというのはその段階で最も悪いという事だよ。
そして元を辿れば発作性心房細動により心臓の中で血流が円滑に流れずに血の塊が出来てそれが脳に飛んだ事による脳梗塞という訳だ。そしてなぜ白波君にはそんなに優しいのですか?
その問いに岩水は再びふははは!巨大な声を上げる。吹き飛ばされそうっすと思いつつ白波は目尻に浮かんだシワが目に入り何だか嬉しそうっすね。とそう思った。
そして心房細動は持続しており血をサラサラにするお薬で血栓予防もされている。だけども現象として心房細動、まぁ心臓の上のお部屋の動きが悪くて、心臓から出る血液も大動脈弁狭窄症により円滑ではない。そして元々はその結果により脳梗塞を起こしたと話すと、何だかこの方の問題の重たる部分が違って聞こえるだろう?
確かにそうっすね!でも手術をしないとなると、と言ってもそれ自体は大きな体への負担にはなるっすけど・・・そうしないとこれから先はずっとそれに付き合いながら脳梗塞後のリハビリを行うって事っすよね?
無論入院中もずっとそうだった訳だな。そしてそれが今ではうまくコントロールされていた。病院の中の生活は在宅と違って日中の活動性もセーブされているからな。
しかし家に帰るとそうとは言えない。どんなに生活指導を行っても家に帰ったらやる事も沢山出てくるし、いつまでもやりたい事はせずに屋内だけの生活を続ける何て人も少ない。それはその人の生きがいや人生を縛ってしまう事でもある。まぁそのためにこの俺がいる訳だがな!
再び岩水は笑い声を開ける。聞き飽きたと言わんばかりに首を振る山吹の顔も何だか柔らかいと白波もまた笑みを浮かべた。
でも先輩の先輩のおじさんが在宅でも見てくれるなら安心っすね!
フハハ!素直な言葉は何だか照れる。昔の後輩は屁理屈や嫌味ばっかりだったからな!しかしそうとも限らんがな!
・・・まぁともかく立ち話もなんですからあちらに座りましょうか。
山吹が案内したのは前におじさんと出会ったロビーの一角にある丸いテーブルである。すまんな!とのっしのっしと歩く岩水について行きながら、何だか最近は先輩の先輩ともよく会うようになったっすねぇと不思議に思った。
白波百合のノート 127
・脳梗塞の後遺症には必ずその原因がある。その原因にもしっかりと目を向ける。
・入院生活と違い自宅に帰ってからの活動性は上がる事が多い。それがその人の生きがいにも繋がる。
・やっぱりおじさんはおっきいっす!
【〜目次〜】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
【総集編!!】
【これまでの話 その①】
【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】
【時間がない人にお勧めのブログまとめシリーズ!】
【ウチ⭐︎セラ! 〜いまさら聞けないリハビリの話〜】
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