白波は山吹より一足早く休憩室を出た。
辺りはすっかりと暗い、このまま帰ろうとも思ったがどうしても気になって病棟へ立ち寄る。
おっつかれさーん!。
遅くまでご苦労様。
そこには見慣れた二人の姿がある。白波は気持ちの深い所から湧き上がる何かを抑えつけられず、思わず二人に抱きついた。
急にどうした?
おーよしよし。山吹さんにいじめられたん?
白波は抱き着いたまま首を横に振る。決してそういう事ではない。
なんでも無いっす!ちょっと疲れただけっすよ!
頑張りすぎだな。無理しすぎないように。
はっはーん!なるほどなるほど・・・ならばこの咲夜ちゃんがお悩みを解決してあげましょう。
白波と上代は同時に首を傾げる。ほんまにこいつらは・・・と坪井は額に手を当てる。
ともかくなlお昼に山吹さん怒ってたんは、一般病床で担当していた患者が、回復期病棟で急変して、そのまま前よりもADLが下がった事にあると思うねん。
それは・・・しょうがなく無いか?確かに悔しいけども。
・・・・。
昔ならきっと上代と同じ意見だったかも知れない。と白波は思う。
そんでな・・・自宅に帰る直前やってんけど、帰れへんくなった。そんであの後な、看護師さんにそれとなく話を聞いてみてん。そしたら山吹さんがポツリと言ってたんやって。『なんで寝たきりなんだ』って。
なるほどな。なんとなく分かってきたよ。
うん・・・
白波はその病室を見る。僅かに夜の闇を巻き込んだその病室からは何の音もしなかった。
医者から離床の許可があった後、その人を起こしてそれを病棟に繋ぐのが、ウチらの最初の仕事っすもんね。
でも本当に起こすかどうかはその場のセラピストの判断だからな。
もし起こして何かがあったら自分の責任になる。そう思う時もあるけれど、だけどもそれは・・・ね。
なんともやりきれへんよなー。でも状態が落ち着いたのは良かったんやけどね・・・
回復期病棟であっても何らかの合併症を引き起こしたのならば、そこからは急性期のリハビリテーションだ。自分もそうだけども全てのセラピストがそれを行える訳では無い。と白波は思う。
だから先輩元気なかったんすね。絶対自分のせいだと思ってるっすもん。
担当の人も一言相談したら良かったのにな。
それは難しいやろな。中堅くらいの人がウチらみたいにホイホイ聞けへんやろし、それに病棟を跨いで相談は難しいんとちゃう?
そっすね・・・と白波は俯き自分の両手を見る。それを見て上代と坪井は顔を合わせ一度頷く。
よっしゃ呑みに行こ!
だな。そんな顔では患者さんを不安にさせてしまう。
坪井と上代は白波を挟んで病棟を後にする。それでも白波は俯いたままだ。
あっついなー!じとじとジメジメ嫌になるわ~!
ちょっと、あれ山吹さんじゃない?
病院の外に出ると、暗くてよく見えないが見慣れた背中だと白波は顔を上げる。
ねぇ百合。隣にいるのは進藤さんじゃない?
確かに細くて長いっすもんね。
なんやあんたら・・・ウチの知らん名前を出しおってからに。
坪井は目を細め、じっと山吹の方を見る白波を眺める。
なーなー何話してるんやろな?
二人並ぶと大人な雰囲気だね。大人な会話をしてるんじゃない?
そやなぁー。って山吹さんて雑談とかすんの?
想像はつかないけど。きっと大人な会話をしてるんだろう。
・・・あんたの想像する大人の会話って何なん?
・・・・政治とか?
上代は猫の手をして額に手を当てる。それを聞いて坪井は目を細めたまま、ため息を吐く。白波は何を考えてるのか二人の後ろ姿をじっと見ている。
雲の切れ間からは欠けた月が顔を出し、それと同時に二人が三人の方を振り向いた。
うひゃぁ!
ちょっと百合!そんな声だしたらアカンて!見つかってしまう!
ごめんー!でもきっと大丈夫っす!
・・・もう手遅れだと思うけどな。
三人に気がついた進藤は大きく手を振っている。そして隣で山吹は肩をぐったりと丸めている。そして背筋を伸ばした。
白波君! 明日はイベントが多いから今日はゆっくり休め!
うっす!
白波はその場で背中を伸ばして敬礼をする。その目は明るく、月明かりに照らされている。いつも通りの先輩の声に感じた。
歩き出した二人の姿が消えてしまうと三人は再び顔を合わせる。
それじゃ今日はゆっくりと休んで明日に備えるっす!
あんたなぁ・・うちらの努力を何と心得る・・・
まぁ良いんじゃないの?元気になったし。
欠けた月は雲の間から地表を照らす。白波はその光を見つめ、もっと成長しよう。そう思った。
白波百合のノート 31
・回復期病棟でも急変後は急性期のリハビリテーションとなる。
・得意分野が違うしキャリアも違うので、分からない時にはすぐに相談する。
・先輩が元気になったのは嬉しいけれど、ちょっとだけ悔しい。
コメント