随分と辺りは寒くなった。ようやく冬が訪れる。どうしてもこの季節になると昔の事を考えてしまうな。山吹は首を横に振る。
先輩どうしたんすか?
何でもないよ。
そう答えてみても心の中では昔の情景が浮かぶ。それを知ってか知らずか、沢尻は笑みを浮かべている。
薫さんも悩むことがあるんだねー。
そんな事は無い。とにかく車椅子に起きるまでの話をしたが、その際に重要な事がある。
痛みの変化・・すか?
勿論それも重要だが、単純に立てるかどうか。という事だよ。
ふむ。と白波は一度頷く。それを眺めながら山吹は指導者と、こうやって話していた時の自分の表情はどうだったかと考える。どうしてもそれが思い出せない。
例えば起こるべきして起きた転倒であったならば、受傷前から体が弱っていたとも考えられる。そして幾ばくかのベッド上での生活は想像以上に足の力を弱らせる。
治療のために必要な期間ではあるけどねぇ。だけども最初に立てるかどうか、それ以前に座れるかどうかは今後のリハビリの進行に大きく関わるんだよー。
確かに・・・力を落としていたら先ずは力を付ける必要があるっすからね。
逆に力を落としていなければ、力を改めてつける必要も無いとも考えられる。まぁ程度には寄るけどな。
指導者がどのような表情をしていたかは厄介な程に覚えている。どこか人の表情を探るように目をまっすぐと見ていた。突然黙り込んで自身の思索の奥に入り込む事もあった。
立てるかどうかは車椅子に移る時に評価するのも一つだ。いきなり車椅子に乗せるのではなく、ベッドの端に腰掛けて一度一緒に腰を浮かせてみる。その加減で移乗の際に過剰な力を入れなくてもすむ。
そうそう。そしてそれを病棟の特に介護士さんに伝えて上げると喜ばれるよー。介護負担の軽減は勿論家族様にも大切だけど、病棟で働くスタッフに対しても重要な事なんだよー。
なるほど、それに移乗する前に足の力を確かめておく事は重要っすね。自分たちのリスク管理にもつながるっす!
そうだな。ベッド上でいくら力が残っていると評価できても、いざ立ち上がる時には力の入れ具合が違うから上手くでき無い事も多い。
うっす!と白波は額に手を当て敬礼のポーズをとる。なんだそれはと山吹は答えつつ、自分はここまで良い後輩ではなかっただろうなとも思う。
そして立てる事を確認しても要注意!足を踏みかえる時に膝がガクッと折れる事も多いんだよー。なぜだか解るー?
えぇと・・・あっ片足で支えるからっすか?
そうそう!二つの足で体を支えるのと、片方の足だけで支えるのは大きく違うんだよー。単純に支える体重が両足の時に比べて2倍になるからねー
もし立ち上がって、立っている姿勢が不安定ならば小刻みに足踏みをしてもらう事で安全に移乗できることも多い。
自分の理論が先行し、指導者に問いかけ指導を受ける。その度にムキになっていたなと山吹は笑みを浮かべる。本当に生意気な後輩だった。
そしてその足踏みが出来るかどうかで、その後歩く練習が行えるかどうかの判断も出来るから、車椅子に乗り移る動作だけでも予測できることが多い。
確かにそうっすね!でもよくベッドが柔らかいと座っている姿勢がグラグラならないっすか?こう後ろに倒れそうになるっすよ。
そうだねー。案外座っているとお尻の方に体重を掛けて座ってしまうから、足に体重を掛けるように意識してもらうことも重要ー。座っている時だって足は体を支えているからねー。
そしてそれ自体が腰にかかる負担を減らす。それに起き始めは前に倒れることが恐ろしいから首の位置は自然と後ろに下がる。先ずはいつも通り座っても大丈夫な事を教えることだね。
確かにそうかもしれ無いっす。転けた時の記憶はなくても、転けた時の気持ちは残るっすもんね。
そうだな。と山吹は答える。指導者は唐突にちょうど今くらいの寒さが強くなった時に唐突に居なくなった。それこそまるで消えるように。その時の気持ちはずっと覚えている。
寝返ってから起き上がって、車椅子に乗るまで沢山見る事があるんすねー。
そうそう。逆に言うとそこさえしっかりしていれば、患者様も車椅子に乗って身の回りの事が出来るようになる事も沢山あるよー
ずっと誰かに頼り続けるのも辛いし、遠慮してしまうものっすからね!
・・・それは自分に言っているのか?
えっ?まぁそれとこれとは別問題っすよー。
うへへと白波は笑っている。いつかこの子も何処かに行ってしまうのだろうか。かつての指導者のように。まぁそれも仕方がない。と山吹は思う。
まぁそれは良いとして、車椅子に起きる。只それだけでも患者様にとって嬉しいものだし家族にとってもそれは同じだ。治療の必要性があるとは言えど寝たきりになった姿を見てしまうと辛い。
そうそう。只単純に身体機能を上げるのがリハビリじゃなくてそれ自体が家族の安心にもつながるしねー。そして病棟にもそれを伝えて上げると介護負担の軽減にもつながるよー。
ふむふむ。やる事が変わら無いのに考える事は増えてきた気がするっす!
まぁそれが当たり前だけどな。
むぅ。と白波は眉を八の字に釣り上げる。なんとも表情の豊かな子だと可笑しくなる。もし目の前の子が居なくなる時が来るとして、その時に「さよなら」さえ言えれば、今のような宙ぶらりんな気持ちにはならないだろう。山吹は西日の陰る休憩室でそんな事を考えた。
白波百合のノート 63
・ベッドの端に座ってもらう時にはしっかりと足でも支えてもらう。
・車椅子に乗り移る時、足を踏みかえる時には要注意!小刻みに足踏みして頂く事も有効!
・先輩がなんだかじっと自分の顔を見てくるっす。何かおかしいっすかね?
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