はじまりの話 その③ 〜プロとしての考え方〜 【山吹薫の昔の話】

山吹薫の昔の話
『内科で働くセラピストの話』【山吹薫の昔の話】
山吹 薫
山吹 薫

主任。サマリー終わりましたよ。

厳密に言えば救急病院に夜は無い。夜自体は訪れるのだけど、都市の中央に位置する拠点となる病院であれば尚更サイレンの音が鳴り止むことは無い。

それでもリハビリ室のデスク周りは静かにはなる。それもまた当然だと山吹薫はそう思う。

石峰 優璃
石峰 優璃

なんだ随分と遅かったな。新人君。

ムッと山吹薫は口をへの字に結ぶ。毎日のように患者が運び込まれているのだ。それなりにリハビリ以外の業務も多くなる。にしても他のスタッフはもうリハ室を後にしているのだから文句も言えないと山吹は思う。

山吹 薫
山吹 薫

主任だってまだ残っているじゃないですか。

石峰 優璃
石峰 優璃

私はもう仕事は終わっているよ。今は自己研鑽だな。

デスクに積み上げられた書籍や文献の束は崩れそうほど頼りない塔を作っている。ちょっとは片付けろよ。山吹はため息を吐きつつそう思う。

山吹 薫
山吹 薫

とにかく・・・そろそろその呼び方は辞めませんか?

石峰 優璃
石峰 優璃

なんの事だ?

山吹 薫
山吹 薫

その新人君ってやつですよ。まぁ他の人達もそう呼びますが。

石峰 優璃
石峰 優璃

ふむ。だけども君はまだまだ新人君だな。

石峰はぐるりと椅子を回して山吹と向き直って足を組む。整って可愛らしい顔をしている。それは本当に成人しているのか?と疑問に思える程だ。だけどもこの病院の救急科でリハビリテーションの主任をしているだけあって、知識や技術は流石に敵わないと山吹は正直に感じる。今はまだ・・・だが。

山吹 薫
山吹 薫

確かにまだ1年目ですが、そろそろ仕事も覚えてきましたよ。

石峰 優璃
石峰 優璃

確かに新人にしてはよく勉強している。そうだな・・ならば血圧とは何だ?

山吹 薫
山吹 薫

口頭試問ですか?血圧とは心臓から拍出された血液が血管を押し広げる圧力の事であり、また押し広げられた血管自体がその先の血管を押す力でもありますね。それは心拍出量と末梢血管抵抗に影響を受けます。

石峰 優璃
石峰 優璃

ふむふむ。なるほど。よくツラツラと話すものだ。だが君の理論は確かに合っているが、正しくはないな。

石峰はその薄い唇を両ほほに大きく広げて山吹をみる。夜の闇よりも暗い朱色の混じるその大きな瞳は、心の中を覗く様に山吹へと向けられる。

石峰 優璃
石峰 優璃

それだけでは足らんよ。それならばテキストを読むだけで良い。君の言葉で説明してくれ。

山吹 薫
山吹 薫

どういう事ですか?主任は僕よりも勉強しているでしょうに。

石峰 優璃
石峰 優璃

例え相手が医療従事者であっても無くとも、分かりやすく説明出来ないと完全に理解しているとは言えない。いつか後輩を指導する立場になるのだからな。後輩を育ててやっと一人前だ。

山吹 薫
山吹 薫

そんな日は来ませんよ。

この救急科はとてつも無く忙しい。そこに新人が配属されるのは稀だ。それなりにキャリアを積む必要があるし、よほど望まない限りは配属されない。もし臨んで配属されてもその業務に押しつぶされてしまう。自分は違うがな。と山吹は薄い笑みを浮かべる。

石峰 優璃
石峰 優璃

さぁもう一度尋ねるぞ?血圧とはなんだ?

山吹 薫
山吹 薫

えぇと。心臓がぎゅっと縮まった時に出る血が血管を押す時の圧力ですかね。そして広がった血管が縮まる時に更に先の血管を押し広げます。なので心臓が縮まる力と血管の硬さや分布が血圧に影響を与えます。

石峰 優璃
石峰 優璃

やれば出来るじゃないか。その両手を広げたり縮めたりする仕草も可愛らしいぞ。

山吹は自分の頬が上気するのを感じた。石峰は子供の様に足をバタバタさせながら笑っている。それを見て山吹は薄く目を細める。

山吹 薫
山吹 薫

もう帰って良いですか?

石峰 優璃
石峰 優璃

まぁ待て。すまなかった。ならばその血管とは何だ?そして心臓とは?血圧はどんな器官のどんな働きに影響を受けてそしてどう影響するのだ?

山吹 薫
山吹 薫

それは・・・

矢継ぎ早に問われて山吹は思わず口ごもる。石峰はさも楽しそうに頬を華奢な腕の上に乗せる。

石峰 優璃
石峰 優璃

まぁゆっくりと考えを纏めると良いよ。例えば血圧測定をとってしても、そこに関連する臓器から器官、そして細胞に至るまで影響する。血圧が高いから危ない。血圧が低いから危険だ。そうとだけ考えていてはプロではないよ。現象と結果の中間を論じられて初めてプロと呼べると私は思う。

山吹 薫
山吹 薫

途方もない話ですね。

石峰 優璃
石峰 優璃

だから楽しいのだろう。ヒトは関われば関わるほど面白い。君のようにな。

山吹 薫
山吹 薫

またからかっているのですか?

そうじゃないよ。と石峰は瞳を和らげる。その言葉の真意は見えないが。自分もまた学ぶ立場なのだから文句は言えない。まぁ今の所はだけどもな。ともう一度山吹は思う。

石峰 優璃
石峰 優璃

それに患者指導を行う上でも相手に分かりやすく伝える必要はある。そのためには真に理解していなければならない。

山吹 薫
山吹 薫

それには確かに同感ですね。再入院のリスクは減らさないと。

石峰 優璃
石峰 優璃

それだけでは無く、分からないままでいると不安なのは患者様本人だ。いつまでも不安なのは辛いからな。それにどうだ?いつか私が入院して君がリハビリを行うことになったらどうする?理解するまで質問するぞ?

山吹 薫
山吹 薫

それだけは・・・嫌ですね。

私もだ。とケラケラと笑い声を上げながら答える石峰に、山吹は口をへの字にして答える。主任の真意は見えないが、一筋縄にはいかないことも知っている。だけども得ることもまた多いのも事実だ。まずは血管からだな。指導者たる主任の言葉を聞いて山吹は大きく息を吸って、そして吐いた。

山吹薫の覚え書 1

・相手に分かりやすく説明出来て初めて理解していると言える。患者が理解できると不安も減る。

・患者様の症状自体ではなくそこに関わる臓器や器官、細胞に至るまで理解する必要がある。

・主任は偶に煩わしい。

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