さーて盛り上がって来ました!沢尻悠は山吹薫のデスクに当然のように寄りかかりつつ一人笑みを浮かべた。白波百合もその隣に腰掛ける桜井玲奈も何時もよりも鼻息が荒いような気がする。青春だねーと思った。
つまり大腿骨頸部骨折に関しては、そのままにしておいたら癒合することが少ない。よって手術療法が選択されるって事っすね!
もちろん程度にも寄るとは思いますの。そしてGardenの分類が代表的ですわね!骨同士がズレる転移の程度で分類されておりますの。StageⅠは内側の頸部骨皮質に骨折線が見られない不完全骨折、StageⅡは転移の無い完全骨折。骨梁に乱れはないけど骨折線が完全に分かれているのですわね。StageⅢは骨同士がズレてしまう転移のある完全骨折、そしてStageⅣは高度に転移の見られる完全骨折ですわ!転移していないのがStageⅠとⅡ、転移しているのがⅢとⅣという訳ですわね!
流石によく覚えているな。そうだな。主治医の見解や治療方針に違いはあるだろうが、その多くは頸部から骨頭を人工のものに置換する人工骨頭置換術が選択される。
うちの子も中々やるでしょー?人工のものだと不安に感じる人もいるけどこれも長い間の研鑽の結果、人体には安全なものだよー。そしてそれは金属やセラミックといった素材で作られていて、患者様の個人因子を考慮して骨セメントを使用したり、使用しなかったりするのさー。ここら辺は主治医の先生に任せておけば安心だね!
でもどうしてこんなに白波ちゃんは必死なのだろう?と沢尻は疑問に思う。だけども前に受け持った誤嚥性肺炎の方や腰椎圧迫骨折の方のリハビリの時にも確かにこう言った感じだったかな。そんな事を思い出す。
そしてその手術は多くは1-2時間、またはそれ以上掛かるが、僕らが覚えておかなければいけないのが、基礎疾患があるかどうかだね。開胸や開腹などの侵襲の大きい手術と比較すればまだ安心して術後も診れるが、それでも侵襲は侵襲だ。普段の生活に比較すると大きな侵襲なんだよ。
そうだねー。頸部骨折に関するオペでも大切な神経や血管はもちろんの事にして、後に動く事に必要な筋肉にも十分配慮されるから安心して大丈夫ー。だけどもそこに呼吸器疾患や心疾患が絡んでくると慎重にならなきゃいけないねー。
でもでも。その多くは全身状態が落ち着いてから手術されるっすよね?それに術場はいろんな機材が揃っていて安心っす!
でも緊急手術という事もありますわ!呼吸状態の安定のためにすぐに離床が必要な時とか色々あるはずですの。
ふむ。と山吹は腕を組んでなにやら考えを纏めているようだ。この百合ちゃんの気持ちもちゃんと考えているんかねぇと沢尻はため息を吐く。
極論かもしれないが、骨折による外的及び内的な要因以外に、手術で行われる事が全て侵襲だと僕は思う。もちろんそれは必要な事だが、例えば全身や局所に対しての麻酔、それに伴う人工呼吸器の使用による口に管を入れる挿管や陽圧での換気・・・もちろんこれは一例だな。そして一番は手術の操作による切断や切離といった皮膚や組織への外的な損傷だと僕は思うよ。もちろん出血もするし局所への阻血も起こるかもしれない。そしてそれに伴う高度の炎症や疼痛だな。これらは必ず必要な処置の中で起こる侵襲だから、決してその行為自体が必要である事を念頭におかなければならない。
そうだねー!そしてそれでまず出血や炎症により血管の外に血が出る。それによって一時的に循環血液量は減少し血圧が低下する。それに伴い尿量も当然減少するね。すると腎臓に至る血液は少なくなって逆に腎臓からは血圧を上げる為にレニンーアンギオテンシンーアルドステロン系の働きで血圧を上げようとするねー。そして結果として交感神経系の興奮で血圧が上がるんだよー。
交感神経系の興奮という事はストレスに拮抗するストレスホルモンもまた分泌されるのですわ。という事は当然高血糖の状態にもなりますわね。
という事は・・・元々心疾患を持つ方にとっては手術の侵襲自体が当然のように心臓への負担になって、糖尿病を患う人は血糖値のコントロールが上手くいかなくなる、そして元々高度の呼吸器疾患があるならば、当然組織の酸素消費量も上昇するっすから、相対的に呼吸不全になる事もあるっすね!
まぁざっくりとそういう事だな。という山吹の言葉に白波は表情を曇らせる。まったく仕方のない先輩なだなぁと沢尻は頭を掻いた。
もちろんこう言った侵襲による影響はみんな百も承知さー。特に手術に関わるスタッフや看護師さんはよく熟知しているから安心。でもそれでもオレらはちゃんと知っておかなければならないねー。
それを聞いてちょっとホッとしたっす。でも知っておくのと知らないのではリハビリの介入の仕方も全然違うものになると思うっす!
そうだな。それらの変化が体の中で起きている事を念頭に術後リハを行わないと、過負荷による原疾患の増悪を招くかもしれない。それに早期歩行の獲得ばかりに目が行くと、今何を優先すべきかが視点から外れやすい。
ふむふむ。もちろん手術のメリットを生かす為にも早期に元の日常生活動作を目標とすることは必須ですわ!でも例えば心疾患の増悪の兆候が見えたらちょっと負荷を考えなければなりませんし、呼吸器症状ならば呼吸リハビリテーションを優先することも考えられますわね。そして術後の血糖コントロール不良もまた考慮すると・・・考えるべき事は沢山ありますわね。
そうっすね・・・と白波は頭に両手を挙げてむぅ。と声を上げた。可愛い後輩が悩んでいるんだから助け舟の一つでも出してあげれば良いのになぁ。と沢尻は目を細めて山吹を見る。
まぁ散々不安になる事を話しておいて何だが、周手術期に関わる医師や看護師、臨床工学技士や検査技師もまた良く良く知っている。なんなら今回話せなかった色々な事もあるが、それもまた共通の認識だ。だから白波君は術後に今回初めて関わるが、一人でやろうとせずに何かおかしいと思ったら直ぐに病棟と相談する事だ。
そうですわね・・・いくら勉強していても知識に基づいた経験を沢山していなければ分からない事もありますもの。それに私たちが不安なままでは術後の患者様が一番不安ですわ!
そうそう。だから大丈夫!同じ病棟の先輩だっているから相談は大切!特に全身状態の変化に関わる局面なら尚更だね!
そうっすけど・・・自分に出来るっすかね・・・。
出来るよ。僕が教えているんだから。
言葉少なく山吹は文献に再び目を移す。沢尻には見る見る白波の濡れたよう色を写す瞳が強くまっすぐと意思を宿すのを感じる。なんだ、ちゃんと分かってるじゃないか。と沢尻はため息を吐き、やはり面倒臭い先輩だと笑みを作った。
白波百合のノート 96
・周手術期のリハビリでは術中に起こる侵襲からの影響をしっかりと基本的な事だけでも頭に入れておく。
・元々患っている疾患はしっかりと把握し増悪の兆候がないかを考える!その都度リハビリの優先順位を念頭に置く!
・一人じゃないっす!自分は先輩が居るっす!
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
【これまでの話 その①】
【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】
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