桜井玲奈の音の譜 その② 〜流れゆく音と変わりゆく気持ち〜

総論

少しずつ周りを包む景色は変わる。

それは自分の気持ちは置きざりにして、音の譜が転調し、新しい展開を迎えるように。

頭の中を流れる音楽を胸の中にしまい、桜井玲奈は書類を持ってリハビリ室の外に出る。

本当にこのままで良いのかしら。そんな事を思いながら。

九州の田舎からこの街に出てきたのは、そんな退屈な日常を変えるため

その思いは確かに胸の奥にあった。だけども繰り広げられる日常の中にいつしか飲み込まれていて、歩み出す足音はいつしか単調なものになる。

願ったのは超急性期で最新の治療法を用いつつバリバリと働く自分の姿。

だけども今は回復期で賑やかとも言え、そして穏やかな日々もまた営んでいる。

だからきっと山吹さんに憧れていたんですわね。そんな事を思う。かつて見た超急性期からきた容姿端麗な講師の姿。

その姿を追って、学び、そして就職した先にあの山吹薫さんがいることを知って胸はさらに踊った。

最初は緊張しすぎてしゃべれませんでしたね。そんなことを思いフッと笑みを浮かべる。今でも素直にしゃべれているとは思いませんけど・・・

本当にこのままで良いのかしら。そんなことはやはり脳裏から離れ無い。

さてどうしましょうか。あの休憩室に行ってみましょうか、それでもやはり一人ではまだ緊張しますわ・・・

一度立ち止まり、ふぅ。と息を吐くとなにやら賑やかな音が聞こえる。

「だからぁ!オレは別に鍛えたりはしないんだからー!」

「なにを言うか!山吹の後輩であるならば俺の後輩でもあるのだから、ほうら良いから俺と語るのだ!そこから鍛え上げてやろう!」

だからー!と返事をしているのは自分のプリセプターである。チャラいだけの人間だと思っていたら、その実以外と思慮深い。なんとも掴み所のない人だ。そしてその向かいでガハハハと巨大な笑い声をあげるまるで山のように巨大な人を見て、桜井はハッと息を吸い込む。

その屈曲な体つきは人ではなく熊のようにも見える。巨大な二の腕はさらに大きなジャケットが張り裂けそうなほどだ。

なんて男らしい人なのかしら!桜井は再びハッと息を吸い込み、見惚れていると、プリセプターである沢尻がこっちを振り向き手を振る!

「あっ玲奈ちゃん!助けてよー!」

「どうかいたしましたの?」

「この巨大なおっさんが離してないのさー」

「巨大なおっさんとは大層な褒め言葉だな!いいか?いかに応用的な先進技術も全ては基礎から繋がるものだ!よって貴様と語り合おうとしておるのだ!山吹の後輩ならばなおさらだ!」

もー!と沢尻は腰に手を当て、首を下げる。このお方は山吹さんの先輩なのかしら?と桜井は首を傾げる。それならば当然救急科の・・・と桜井は一度頷く。

「私も・・・そのお話をちょっと伺いたいですわ。」

「ほうら!貴様の後輩の方が優秀ではないか!よしならば語り合おうじゃないか!良いか!?低アルブミン血症というのは急性期のみならず回復期、そして在宅においても重要な問題であるのだからな!」

もーと諦めたかのように、どうぞ・・・と近くの談話スペースを指差す沢尻の先をその屈強な男は歩く。そしてそれに桜井もまた続く。

日々の中に流れる音が変わる。そんな気分を感じた。

【〜目次〜】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

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