日勤を終えた看護師が帰宅し、病棟は静かだ。
そこに電子カルテを睨みながら、一人唸る白波がいる。


ん~・・・ん~!!

どうした?そんな声を出して。
腰に手を当てながら、上代 葉月(かみしろ はづき)は悶える白波を見ている。

葉月~助けて~同期のよしみで~。

だからどうしたんだって。
溶けるようにデスクに突っ伏す白波を見て、上代はため息をつく。

バイタルサイン測定では検査値を見なきゃならないっす。だから勉強してるんすけど・・・

あぁなるほど。山吹先輩の宿題か?

違うっす!目にもの見せてやるために!先に勉強してるっす!

・・・とても上手くいくとは思えないけどな。
両手をバタバタとさせる白波の上から上代は画面を覗き込む。
上代の身長は高くその上驚くほど細い。それを見て白波はいつもズルいと思う。

生化学検査だね。うん。略語ばかりで全然分からないな。

そうっすよね。調べてもどこから見れば良いかが分かんないっす。調べる度に頭から抜けるんすよ!

確かに大切なのは分かるけど、解らないのが正直なところだね。

でしょ?でしょ!英語ばっか沢山並んで!ここは日本っすよ・・・

また無茶苦茶な・・・。いつもの山吹先輩に聞いたら良いだろ。

それもそうっすけど・・・また嬉々として若干バカにするっすからねぇ。
ふむ。と白波は腕を組む。上代は山吹先輩が殆ど日常会話をしている所を見たことが無い。何度想像しても、山吹先輩の嬉々として喋る姿が上手く浮かばない。

まぁそれは知らないけど、まだ帰らないの?

もうちょっと頑張るっす!

そうか。まぁ無理しないようにね。
うっす。と白波はそう返す。そっか。と上代は返事をすると病棟を後にした。
前から努力家だったけど、こんなに楽しそうだったっけなと上代は思う。もっと切羽詰まってたような気もする。

(まぁ良いか。)
上代は先に待つ坪井 咲夜(つぼい さくや)へと連絡を送る。『白波はまだ頑張っている』と。

時間は流れて業務後の休憩室には再び西日が差し込んでいる。
すっかり日照時間が長くなったな、と山吹はレースのカーテンを閉じる。
そして、そろそろかと休憩室のドアを見る。ドアは予定通りに音を立てて開く。

お疲れっす!っておぉ、先輩!こちらを見つめてどうしたんすか?

別になんでもないよ。・・・で今回は何をやらかしたんだ?

何もやらかしてないっす!でもまぁ教えて欲しいことがあるっす!

ふむ。それはどんなことだ?
結局、夜遅くまで残っても白波の成果は上がらなかった。
そして堂々巡りの考えの後、まぁ先輩に聞けば良いっすか。といつも通りの結論に至った。

生化学検査の見方を教えて欲しいっす!

急にどうしたんだ?

いやぁ。バイタル測定してるとやっぱり必要じゃないっすか。

そうだな。それだけではないけれど重要なことだ。
白波はガタガタと椅子を運んできて、山吹のデスクの隣に椅子を置く。

はいどうぞ!

・・・まぁ話を聞いてくれるだけ良いとするかな。

任せてください!
何がだよ。と山吹はいつの間にか白波のペースに乗せられている。

ともかく生化学検査結果の何が知りたいんだ?

全部っす!

それはまた漠然としてるな。全部を知っているなんて、僕はとてもじゃないけど言えない。

先輩でも謙虚な部分があるんすねぇ。その1割でも表情に出せばもっとねぇ。

何がだ。でもまぁせめて僕が普段何を見ているかを話そうかね。

何を考えているかも一緒にっすね!
もちろんだよ。と山吹は答える。遅くまで電子カルテの前でバタバタしていたのはそういう事だったのか。と山吹は笑みを浮かべる。少しは成長したのかと感じた。

それじゃぁ生化学検査でまず何を見る?

それもう。CRPじゃないっすか?炎症所見っすよね?

もちろんそれも大切だし、他も全部大切だけど、リハビリを行う中で急変リスクに直結するものがある。

それは何なんすか?

電解質だよ。

でんかいしつ?
ふむ。まずはそこからだね。と山吹は答える。うっす!と白波は真っ直ぐに手を伸ばす。山吹はデスクへ腰を下ろし足を組む。休憩室に音が溢れた。
白波百合のノート15
・分からない事は知っている人に聞く方が早い。だけどちょっと悔しい
・CRPも重要だけど、電解質はリハビリを行う上でリスクに直結する・・・らしい。
・どうせ勉強するなら楽しい方が良い。
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