白波百合の心の中 その① ~乙女の祈り~

百合リハ

白波百合はその細い手を大きく伸ばす。

それは日も暮れ始めた蛍光灯に透けて見えて、自身がまるで溶けていくように感じる。

初めて先輩のいる休憩室を訪れて随分と経つっすね。

そんな事を考えた。

繰り返される日常はその日常が繰り返される度に、心の水面の奥底に朽ち果てない流木の様に積み重なっていく。

その度にその水面の濃度も増していき、何かが降り積もる度に波紋を立ててその色を変えた。

それでもその水面から水面下が覗けるほどに透明度を保ったままなのは、それが自分にとって美しい言葉が積み重なったからだろうとも感じる。

その言葉が自分の心に沈み込み、そしてそれは朽ちる事なく新たな思い出と共にそこで何かを構築していく。

良くも悪くも。

先輩はきっと気が付いていない。いや気が付いているのだろうけど、きっと目を背けようとしている。

過去は取り戻す事は出来ない。それは祖母が死んだ時に痛感した。

そして自分が犯したと思う罪もまたきっと変わらない。

もし自分が早く立派になって祖母に何かが出来ていたのなら、今の様な気持ちにはならなかったのかもしれない。

けどきっとそれは違う。後悔はきっと自分がそれを後悔だと思っている限りその枠を出ない。

後悔している限りは水面下には汚泥が溜まる。そしてそれは水面自体の色も変えてしまう。

美しい思い出は美しくあらねばならないのだろうし、せめて自分が美しく装飾しなければならないのだと白波は思う。

そしてその思い出を今、自分がこんなに美しく思える様になったのは、紛れもなくこの休憩室の日々なのだ。

ふと先輩の事を考える。先輩の昔のお話を聞いてしまったから。

そしてこうとも思う。

きっと先輩の中に未だ存在する指導者さんの姿は決して消える事はない。

それ所か、それを想っている限りは消えはしないし、そして失った時の記憶を後悔や苦難としてしまえば、その思い出にも汚泥が溜まる。

先輩にとってきっと忘れられない日々。そしてそれは今の自分の日々と同じ様にいつまでもこうやって流れるのだから。

他人に自分が何かをしてやれるとは思わないし、自分はそんなに傲慢ではない。

だけどもいつか自分が先輩の肩の荷を減らす事が出来て、自分の過去を後悔ではなく美しい思い出として眺められるのなら。

そして、いつかその思い出の水面を隣で一緒に眺める事が出来るなら。

休憩室のドアの前に立ち、手を捻るとガチャリとした音が流れる。

幾度も聞いたこの音の向こうには、きっと黒猫のマグカップを持つ気怠げな主任がいるのだと思うと、また一つ心の水面に柔らかく波紋が広がっていのを感じる。

さて今日のお話は何なのだろうか。

重かった扉と足取りは自然と軽くなる。差し込む西日の逆光線上に先輩がいる。いつものように。

白波百合の笑みに山吹薫は訝しげに眉を歪ませる。

いつものように。

それがまるでいつまでも続くかのように。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

【これまでの話 その①】

【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】

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理学療法士。作家。つむぎ書房より『看取りのセラピスト』を出版。理学療法士としては、回復期から亜急性期を経て、ICUを中心に働き内部障害を中心に患者へと関わる。ご連絡はこちらからも→Xアカウント(旧Twitter)@tanakan56954581 他にも多くの小説ストックあります。

ちなみに千奈美さんの第一話はこちらから

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