低酸素の話 その②  〜息を吸っても治らない低酸素の事〜

呼吸

進藤守は何気なくデスクに腰掛ける山吹薫を見る。その隅にはあの、人を嘲るような黒猫のマグカップがひっそりと鎮座しているのも視線に入った。

進藤 守
進藤 守

それじゃ話の続きだな。呼吸の調整が上手くいかない状態は極めて体にとって重大な状態である事は分かるだろう?それが基準値を下回った時、これは血液ガスの値で決まるがこれはまた今度詳しく話してもらうと良い。

山吹 薫
山吹 薫

進藤が話せば良いだろう。まぁ込み入った話になるから先ずは大まかなイメージはつける事に越した事はないけどな。その状態は呼吸不全と呼ばれる。不全というより状態によっては可逆的だから機能障害として考えて見ても良い。

白波 百合
白波 百合

ふむふむ。例えばこう息が苦しくなって何も出来なくなる。そんな感じっすかね?

進藤 守
進藤 守

それに加えて生命の維持にも障害が生じる。そんな状態と考えても良いかもね。

ふむふむ。と白波百合はいつもの様に頷いている。だけども本心はどうなのか、それは計りかねるなと進藤は思う。

進藤 守
進藤 守

体の中に酸素が足りない状態、それは低酸素状態だな。それには二種類あって、低酸素血症と低酸素症がある。

白波 百合
白波 百合

ん?どちらも同じではないんすか?

山吹 薫
山吹 薫

似ているが似て非なるものだよ。まずは低酸素血症、これは血液の中に酸素と結合したヘモグロビンが減少した状態、そして低酸素症は細胞に到達する酸素の量が減少し機能障害が生じる状態とされるな。

白波 百合
白波 百合

ふむ。ますます同じ様に感じるっす。

ふぅむと山吹は腕を組む。進藤はこの部屋に至るまでの廊下で、山吹から百合ちゃんに少し昔話をしたと聞いた。それがどこまでの話かは分からない。

進藤 守
進藤 守

順序を追って話そうか。口から吸い込んだ酸素は血中へと移動する。その時にヘモグロビンへと結合する。それは動脈血酸素飽和度(SaO2)とも表されるね。ならこの値が低下する時には、口から肺へと至る酸素の量と共にもちろんヘモグロビンの量も関係するね?

白波 百合
白波 百合

そうっすね!酸素の量もそうっすけど、ヘモグロビン自体が減少する貧血なんかも関与するって事っすね!

山吹 薫
山吹 薫

そして低酸素症にはそれに加えて心拍出量も関与する。心臓が上手く鼓動を刻んでその先に血液を流せなければ、その先の細胞まで酸素を含んだ血は届かない。いくら血に酸素が満ちていても、その血を届けられなければやはり細胞での働きに障害が生じる。

白波 百合
白波 百合

なるほど、しっかりと酸素を吸い込んでいても貧血だったりすると低酸素血症になったり、心臓の働きが弱っていると低酸素症になったりするんすね!

そんな感じかな?と山吹は納得がいったのか一度頷く。進藤はそれを見てまさか余計な事を話してないだろうなと目を細める。

白波 百合
白波 百合

ふーむ。例えば患者様が息切れしていたり、呼吸困難感を感じているとどうしても酸素の事ばかり考えてしまってたっすねぇ。

進藤 守
進藤 守

それもある意味正しいな。そうして選択されるのは酸素療法だったりするからね。だけどもそれは安静時である時で、運動時にそれを感じる際には俺らはそれを念頭に置かなければならない。

山吹 薫
山吹 薫

そうだな。例えば運動時に息切れがして深呼吸を促す。でもその原因の背景には只の運動不足ではなく、貧血だったり心臓の疾患が隠れているかもしれない。よくよく既往歴や血液データを確認しなければならない。

白波 百合
白波 百合

なるほど。なんとなく理由が分かると、ちょっと見る目も変えなきゃいけないっすね!

その通りと進藤は答え、百合ちゃんが先ほどチラチラと自分を見ているのが気にかかる。自分の若い時の話は苦手だなとも思う。何も変わらない山吹と違って。

進藤 守
進藤 守

もちろん超急性期、まぁ救急搬送された後では広範な外傷や全身に至る重篤な炎症で酸素の消費量が増える。それで口から得られる酸素だけでは細胞での酸素消費をまかなう事が出来ない。よくドラマでも事故の後は酸素マスクを付けているだろう?そうでないと酸素の消費に対して需要が間に合わないからな。細胞の低酸素症に陥る。

山吹 薫
山吹 薫

他にも外傷であれば出血ももちろんある。血が失われる事によって酸素が得られていても末梢に運ぶ血圧と赤血球が得られない。つまりは低酸素血症も並行して生じる。よって輸血もなされる訳だな。

白波 百合
白波 百合

自分は救急病院の事はなかなか想像出来ないっすけど、確かにドラマで事故の後に患者様が、だー!って運ばれてくる時を想像するとその理由も分かるっすね。

進藤の耳の奥では、サイレンの鳴り止まない、あの今は失われた日々の喧騒が流れている。今の穏やかな日々でも少し懐かしくなる。

山吹 薫
山吹 薫

もちろん心不全が増悪したり、元々悪い肺で肺炎を起こしてしまってもそれは同様だ。低酸素血症と低酸素症の多くは合併しているが、その違いも念頭に置かねばならないね。それでリハビリの対象とする所や方法も少し変わってくる。

進藤 守
進藤 守

心不全に対するリハビリか、呼吸器に対してのリハビリか、はたまた進行する貧血や不安定な心臓の機能に対して負荷量を調整するか。それはその患者様によって違うが、考えているのと考えていないのでは大きく差が出る。

白波 百合
白波 百合

リハビリを行っている患者様は多くは高齢者っすからね!安定しているように見えても、元々持っている疾患が進行しているかもしれないっすから。でも先輩たちの話を聞くと救急のリハビリもカッコ良いっすね!

そうかな。と進藤は顔を背ける。あの喧騒の日々が続いていて、そこに百合ちゃんも居たらどうなるか。そんな事を考えて首を一度振った。山吹と同様自分もまたあの日々が戻らない事は知っているのだから。

白波百合のノート 79

・低酸素血症では酸素の他にヘモグロビンも関与する。

・低酸素症では心臓の働きで末梢まで血液が行かない事でも起こる。

・知ってしまえば見る目も変わらずは得ない。良い意味でも。

【これまでのあらすじ】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

【これまでの話 その①】

【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】

tanakanの他の作品はこちらから

tanakannaika|note
理学療法士でパーソナルトレーナーなブロガーです。また動画編集や過去には脚本執筆や演出、撮影、編集など多岐に渡って活動しておりました。楽しみながら学べる『内科で働くセラピストの話』を執筆中。

ちなみに千奈美さんの第一話はこちらから

その1 『伝えたいことを思い出せない』|tanakannaika
ここはとあるクリニックのリハビリ室。そこには僕こと、高橋を含めた4人のリハビリスタッフがいる。そしてそこの主任は千奈美さんであるのだ。 瞳と同じくらい小さな整った丸顔で、それに合わせて栗毛が緩く巻かれている。 そして業務の終わり、僕は千奈美さんから呼び止められた。 「高橋くん高橋くんちょっと待ってー!」 「そんな...

コメント

タイトルとURLをコピーしました