なんだか矢鱈と賑やかだなと山吹薫はそう思う。勉強とは自分との対峙であって、決して楽しむものではない。そのはずなんだけどなとも思う。
高血糖状態・・・それが恐ろしい事はわかりました。でもその逆があるんですよね?
ちょっとは分かってきたじゃないか新人君。正常を逸脱するという事は当然過剰である時、過少である時である事が多い。
なるほど、呑み過ぎもダメだし呑まな過ぎもダメって事でしょう。
それはどうかな?と石峰は小さな頬を右手に預けている。それはダメだろう。山吹は言葉に出さずにそう思う。
低血糖であるという事もまた臨床ではよく見ますね。血糖値が正常値を下回る事で、これは逆に糖質を取らなさ過ぎたという事でしょうか?
在宅ではそれも多いかもしれないが、やはり多いのが血糖を下げる薬の影響も大きい。
でも高血糖にならないための薬なんでしょ?必要なんじゃないですか?
確かに必要だな。在宅でのコントロールは必要だが、例えばなんらかの疾患により炎症症状が生じている、もしくは普段より食事量が低下しているのにも関わらず普段通りに薬を飲む。そういった時によく生じる。
何かを学ぶという事は自分を高めて、そしてそれを誰かに還元する。そのためのものだし医療従事者なのだから患者のために必要だ。楽しむ事ではない。そう思う。
低血糖と言う事は逆に細胞の中に糖分が移動して、エネルギーを与える訳ですからエネルギーだけを考えると充足しているように思えますが。
一時的であるならな。それが長期間だとエネルギーは枯渇する。そして最もそのエネルギーが必要な場所は頭だからな。
頭、脳にエネルギーが足りないとぼぅっとしてしまいますね。
それもまた意識消失の原因となる。他の意識消失に繋がる基礎疾患がない場合に意識消失を来した場合、低血糖発作をまず疑うよ。
なるほどな。と山吹は思いつつ学ぶ事を楽しまない。その考え方がなんだか違うような気がした。今のひどく浮ついた気持ちと得られる知識を感じているとそう思う。
そして我々は患者様へと運動を処方する。そして運動はエネルギーを消費する。ある意味何も考えていないと、悪戯に低血糖発作を来させてしまうかもしれない。
そのために事前にその情報が必要なのですね。特に血糖降下薬が処方されている場合、インスリンを使っている場合にもそうですが、その前後にリハビリをする場合にはそのリスクを念頭に置かなければいけませんね。
いつ起こってもおかしくないし、運動を処方する場所が医療機器の整っている場所だと必ずしもそうではないですもんねー。
そしてそれが考えられる場合、例えば普段感じない倦怠感やふらつきを感じる時、早急に糖分を補正する必要が有る。それ専用のブドウ糖を含む飴や、個人的には早急に吸収されるジュース類なんかも良いかもな。
それでも自分は医療従事者なんだから、ただ楽しんではいけないのだ。と山吹は浮ついた心をぐっと抑え込む。ふと主任が自分をじっと見ているのが目に入る。
でも体には血糖値を上げるための機構、ホルモンが沢山有るんですよね?あっでもそもそも血中の糖分が少なければ難しいか・・・
もちろんある。だけども最終手段だな。体に貯蔵されているエネルギーがあるだろう?
脂肪って事ですか?
それもそうだが、低血糖を容易に引き起こすような状態では低栄養、酷く進めば飢餓状態の場合も多い。逆に高度にインスリン抵抗性やそもそもの分泌されない1型糖尿病の時には筋肉がエネルギーの元となる。
石峰は自身の右手を真っ直ぐと伸ばす。白く細く今にも折れそうなほど華奢だ。現実感の乏しい作り物みたいだな。と山吹は思う。
体の中でエネルギーの源である糖が失われている、血中に糖質が過剰にあったとしても、そもそも細胞の中へエネルギーが取り込めない状態である時、その時には体は筋肉を分解しアミノ酸からグルコースを生成してエネルギーを生み出す。
それならちょっと安心だけど、筋肉が減るのは嫌ですね・・・
確か糖新生でしたね。でもそれは重篤な場合でしょう。
そうだな。そこで生じるケトン体が問題だな。これが過剰になるとケトーシスという病態になる。体が過度に過度に酸性に傾き体は体を維持できなくなる。
本当に最終手段って訳ですね。
いつか体の酸塩基平衡の話もしなければな。と石峰はそう山吹に語りかける。体は体を維持できなくなる。その言葉はゆっくりと山吹の心の中に沈んでいく。
でもやっぱり自分の病状の理解は必要ですねー。そして何が異常かを知っておいてその対策をする。予防医学ってやつですね。
極論するとそうだけど難しものだよ。先天的にインスリンが分泌できない人もいらっしゃるくらいだからな。そうでないなら生活習慣を見直す。まずはこれが第一歩で、異常を感じた時には早めの受診もまた必要だ。
そうですね。夜な夜な酒を呑んだり不規則な生活をしているのも危険ですね。
確かに!運動が苦手だからって運動習慣から逃げ続ける事もまた危ういですね。
進藤はニヤニヤと笑いながら山吹を見る。それを見て尊大に口をへの字に曲げながら山吹は応えた。主任は再び電子カルテに視線を移して再び陶器のような顔に戻る。その横顔もまた何だか現実味に乏しい。山吹はそう思った。
山吹薫の覚え書 23
・低血糖症状は血糖降下薬を処方されている人の生活パターンの変化によって起きる事もある。服薬前後の運動処方時には注意。
・長期間血糖値が低値を示していて飢餓状態だとケトーシスのリスクは高い。要注意。
・やはり進藤は口が減らない。よく語るやつだ。
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。』
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