岩水静の心の中 その①  〜英雄ポロネーズ〜

総論

岩水静は語り終えた後、ふぅむと両手を組んで鼻息を鳴らす。

目の前にはまだ話の続きを聞きたそうにメモを走らせる白波百合と、何やら頭を抱えているかつての新人である山吹薫が居た。

「なんだ情けない。これほどの話でもう疲れたのか?」

「いや。なんだか最近は・・・次々にかつての先輩たちのご講義を聞く機会があって、頭は追いついても心が追いつかないですよ」

「何を軟弱な!もう衰えたのではないか?」

ぬはは!と笑うとその笑い声に気圧されたように山吹はため息をついている。確かに歳をとったものだお互いに。そうとも岩水は思う。

「しっかしこの前といい、おじさんにはすっごくお世話になったっす!それになんだか・・自分のやりたい事も見つかった気がするっす!」

「そうかそうか。それは良かった。お嬢ちゃんの表情もなんだか違って見えるぞ!」

そうっすか?と朗らかに笑うそのかつての主任と同じ名前をした少女を見て、岩水は目尻を和らげた。全く因果な事もあるものだとも思う。

「それでは長居をしすぎたようだな!山吹!これからも鍛錬を怠るんではないぞ!我々が居ないからと言って油断するな。いつでも貴様のサマリーを添削して送り返す準備は出来ておるぞ!」

「そんな準備はしなくて良いでしょう。まぁ久しぶりに会えて良かったですよ。」

吐き捨てられるような言葉にほぅ。と岩水は目を丸める。あの小生意気な新人からこのような言葉が出るとはなと思い、さすがにもう新人ではないなと息を漏らす。

「それじゃぁおじさん!またお話を聞きたいっすー!」

「おぅ!いつでも待っておるぞ!」

岩水は白波と山吹に見送られながら、愛車である原付に跨る。本音を言えば心を揺さぶるようなほどの嗎を聞かせてくれる排気量が欲しいのだがな。とそれは贅沢なものかと思う。

そして、岩水はその帰り道、法定速度の風を浴びながら、なんだか不思議と懐かしい気持ちになるものだと思う。

それはかつての救急科に居た時のものであり、我ながら旅愁に浸るなどらしくはないと思った。

かつての主任、石峰優璃と初めて出会った時には、まるで氷のような人だと思った。

陶器のように白く完成された表情には笑みなどは無く、数々の重症な患者様へと対峙していた。その下で働く自分はまるで女王に使える騎士のようであり、考える事の出来る一発の銃弾とも思えた。

その指示に従い数々の難しい離床やリハビリをこなす。

その鮮烈な冷たい空気は今でも心を高ぶらせる。

しかし、山吹が入職し山吹に直接指導するようになり、その氷も徐々に溶け始めた。不思議なものだったと今でも感じる。

何がキッカケかは分からない。

自分と似たものを山吹に感じたのかもしれない。

それは今になっては誰にも分からない。

思えばその時から、主任はいつか自分が前線を去るつもりだったのかもしれない。

それ故、自分の知識や技術を分け与えた。鮮烈なその自分の姿とともに。

しかしな・・・と岩水は眉間にしわを寄せる。

それだけではいけなかったのだと思う。その結果今でも山吹は主任の後を追い続けている。

それ自体は良いのだが、その姿を追い求めても、その先にはきっと何も無いのだろう。

きっと追い求めているのは主任の知識や技術以上に、あの石峰の率いた救急科での日々であろうからだ。

それは決してもう二度と訪れる事は無い。

奇跡的にそれが訪れたとしてもそれは・・・もはや我々が居た救急科では無いのだ。

きっと奴はそれには気がついておらんのだな。と岩水は、ガッハッハと愛車を走らせながら笑い声をあげる。

だけども我々は奴より長生きしている。それだけの理由でその事に気がついて、今はそれぞれの道を歩いている。

あの救急科で見た世界から一歩先の世界を。

そして今ではそれぞれの新しい世界へと一歩踏み出す事が出来た。

改めて主任は自分の未来をどう見ていたのかとも疑問に思う。

最先端のリハビリの中にその身を埋めるつもりだったのか、いや、そうではなのだろう。

そうであればあれほど熱心に後輩に対して全てを与えようとするものか、あの人の事だから自身も何も投げ出してその中に向かうはずだ。

そして今はあの人の知識や技術は山吹の中にあるのだろうと思う。

我々にさえ伝えなかった、伝える必要は無いと判断したのかは知らんが、あの人の中で構築された臨床に対する思考過程を含めた全てがあるのだと思う。

そして今やそれを、同じ名を持つ後輩に伝えているのだから、因果なものだと思う。

・・・いやこの世は全てそういうものなのだ。

必要な時に必要な人が現れる。

それはどこかの誰かが作った台本のように、面白おかしく滑稽に、そして時に残酷に。

白波百合と言ったな・・・と岩水は朗らかに笑う少女の姿を思い出す。

かつての主任とは真逆と言って良い雰囲気だが、それでも・・・なかなか面白いセラピストだと思う。

技術や知識はまだまだだが、きっと主任に一番足りなかったものを持っているような気がする。これもまた因果な事だなと笑みを漏らした。それ故、今は昔ほど俺はかつての新人の行く末にあまり心配していないかもしれない。

きっとそうなのだ。誰かの書いた途方もない台本の先は読めないが、悪い結末に向かっている様には感じない。

それはつまりあの生意気だった新人次第という訳でもあるのだがな。

さて、今度いつ山吹からサマリーが届くのだろうか。

新人の時から成長していれば良いのだがな。と半分楽しみではある。

あの・・・人に何かを伝えるのが苦手な男のサマリーほど面白いものはなかったからな。

だけどもそれもまた今は変わっているのだろうと思う。

あの救急科を失った日々の中で、そして今の後輩と過ごす日々の中で。

それはそれで楽しみだ。と岩水は大きく息を吸う。

まだまだお話は終わらぬよ。これからも続くのだ。

それはまぁ俺たちもだがな。と岩水は再び吹き付ける風をなぎ払うかの様にがっはっは!と再び笑い声を上げた。

【〜目次〜】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

【総集編!!】

【これまでの話 その①】

【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】

【時間がない人にお勧めのブログまとめシリーズ!】

【ウチ⭐︎セラ! 〜いまさら聞けないリハビリの話〜】

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