さてさて・・・と白波は肩に力を入れなおす。やっとの事で患者様を受け持つことができるっす。西日の差し込む休憩室が、いつもより明るく見えると白波は思う。
さぁ!先輩の話を聞かせるっす!
いつもに増して尊大だな。初めに言っておくが、これは僕の考え方だから囚われてはいけない。
うっす!参考にさせて貰うっす!
言い方がなぁ。と山吹は頬杖を付く。口調は全然変わらないけれど、何だかいつもと違うっす。と白波は思う。
先ず僕が考えているのは、元の生活に戻れるか、そうではないかだよ。
リハビリをする前にっすか?
そうだな。多くのリハビリテーションのゴールは、元の生活に戻れるか否かという事になる。そして多くの家族や患者本人もまたそれを望む事が多い。
それはそうっすよ!だっていつまでも同じ生活を続けたいっすもん。
そうだな。と山吹は目尻を和らげる。白波は何だかそれが無性に気になった。
だけども次に考えるのは、その生活を続けていけるかどうかだ。
それは・・・どういう事っすか?
例えばよく有るのが、自宅でふらつきながら何度も転倒を繰り返し、生活する中で転倒し骨折をしてしまった。という機序で入院した場合。君はどう考える?
それは・・・転倒しないようにリハビリして手すりを付けたり・・・環境調整をしながら自宅で転けないようにするっす!
そうだな。正しい。だけどもそう上手く行かなかったら?そしてその転倒の原因がただの筋力低下ではなく、肺炎を繰り返していたら心臓になんらかの疾患があったとしたらどうする?そしてそれに患者の家族は心を痛めて目が離せずに疲労していたら?その結果患者と家族の関係が上手くいかなくなっていたらどうだろう?
それは・・・
もちろん自分の理想とするリハビリテーションの経過を辿る事は多くはない。それは先輩の患者様を一緒に見ながら痛いほど感じていた。
・・・というように情報収集も単純ではすまない。考える事も沢山ある。よって最初は元の生活に戻れるかどうか、そして元の生活を続けていけるかどうか。それを考えてみようか。
むー。何だか考える事が沢山ありすぎて・・・いやまぁいつもの事っすけどね。
答えが出てないものほど複雑だよ。そして先ず発症機序や受傷機転が重要になるね。つまりどうやって発症したか、どうやって怪我をしたのかだ。
何かに躓いたり、季節の変わり目で怪我をした・・・っとかっすか?
それも重要だが、それまでの経過が大切だ。ただ単に君のように道で転んだ。と高齢の患者が家で不活動となって心身を弱らせ転倒し、そして骨折したとは訳が違ってくるだろう?
確かにそうだと白波は思う。小さな・・いや小さくなってしまった祖母の事を何だか思い出した。
そこで、それが唐突に訪れた不幸なのか、起こるべくして起きた不幸なのか。という考え方も必要になる。もちろんどうやって受傷したのかも大切だが、どういった過程で受傷や発症したのかを考えなければならない。それも長い目で。
なる程、だから最初に問診が必要なんすね。
入院時になされるのは多くはその疾病などに関する事だから、僕らはそれを掘り下げていく事も必要だ。それが大きな分岐点になる事も多い。
そうっすね。段々と弱ってしまって怪我をしたり、肺炎に成ってしまったのなら直ぐに元の生活に。とはとても皆んな思えないっすもんね。
多分今ここで働いているのはきっと祖母のお陰なのだと思う。毅然とし広い居間で正座をしたまま微笑む祖母を思い出す。
でもやっぱり家に帰って欲しいっすよ・・・
それは皆んなもちろんそう思っているよ。だから本人の意思や家族の意向が十分に必要だ。入院された時の家族の表情や本人との会話の機微もしっかり感じておく事もまた重要だ。それが最終的に僕達がどうするかの判断基準になる。
そうっすよね!やっぱり大切な人とは最期まで一緒に居たいっすもん!
山吹はその言葉には何も答えずに笑みだけ返す。その笑みの奥に何があるのか。なんとなくそれは伝わって来る気がした。
まぁ兎に角先ずは、元の生活に戻れるかどうか、元の生活を続けていくかどうかを考える。そして発症機転や受傷機転をその直前だけではなく長い視点で考える事が必要だ。
そして、それが唐突に起きた不幸なのか、それが起こるべくして起きた発症や受傷なのかを考えるっすね。
何より本人の意思や家族の意向が重要だ。言葉にならない部分の汲み取る必要がある。
それは・・・先輩は苦手そうっすね。
何がだ?と山吹は首を傾げている。そういう所っすよねぇ。と白波は窓の外に目を向ける。それはゆっくりと休憩室の中に影を作っていった。
白波百合のノート 57
・入院した時には問診の中で、しっかりとどんな生活をして居たかを聞く。
・起きるべくして起きたのかそうでないのかを聞く。そして本人の意思や家族の意向もまた必ず聞く。聴けなくとも感じる必要がある。
・祖母の事を思い出してしまった。
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