山吹薫はデスクに寄り掛かり腕を組む進藤守を見る。この休憩室に至るまで、昔話をしたと話したら大層驚いていたのに今は随分と眠た気だ。
ここまで体に取り込まれる酸素の話をしてきたが、呼吸中枢で感知されるのは何だったか覚えているか?
むー。さっきの話っすよね?呼吸中枢は二酸化炭素を感知して、大動脈や頚動脈の小体、中枢は酸素、そして気管支の末端の肺胞はその伸び縮みを感知して、呼吸に関する筋肉を動かして数や深さを調整するっす!
上手くまとめたもんだね。えらいえらい!
えへへーと白波百合は頭を掻きながら露骨に照れている。山吹は主任と同じ名前でもこうまで違うものだなと感じ、まぁ比べる事でもないとその思考を止める。
前にも話したが酸素を体に取り込み、二酸化炭素を体外に排出する。これが正常だな?ならば異常はどうだ?
ふーむ。単純に考えるとその逆っすから、酸素を体に取り込めなくて、二酸化炭素を体外に排出する事が出来ない。って事っすか?
つまりはそういう事だね。高度に二酸化炭素が体内に残ってしまっている状態、これは高炭酸ガス血症と呼ばれて、初期でも過度な発汗やめまいを生じ、それがさらに急激に上昇するとCO2ナルコーシスと言う症状を起こし昏睡や呼吸停止、最悪死に至る。
死・・・っすか。
白波は体を僅かに固める。病院である限り死という事は普段の生活よりも身近にある。それはまだ白波が臨床で経験した事のない一つだと山吹は思う。
本来二酸化炭素は酸素と比べて血中から移動しやすい事もあるから、早々低下する事は無い。よって低酸素血症や低酸素症が先行するが、広範な肺炎やCOPDや間質性肺炎等で元々悪い肺が更に悪くなる。急性増悪といった形かな?そういった際に生じる。
過度に痰がたまり広範な無気肺、空気が入れない肺の大きな部屋が増えてもそうだな。簡単に言えば本来出入りが容易な二酸化炭素すら、出入りが出来ないくらいに肺が障害されてしまった状態と捉えてもいい。他にも意識障害に伴い舌根が沈下したり、それと並行して痰の貯留などで中枢の気道が過度に狭くなる、もしくは心不全の進行で肺に水が過度に溜まる。別の問題も加わっては来るが、それでも血中の二酸化炭素は溜まる。
でも、呼吸の中枢があるっすから、呼吸の数や深さを調整したりするんじゃないんすか?
それにも限度があるからな。それに呼吸中枢は二酸化炭素の貯留を感知する。それほど人体に影響を及ぼすからな。だけども急激に増悪しておらず、COPDの人に多いが、それが長期に及んでいるとある意味慣れてしまう。
慣れる・・もんすか?と白波は不安そうに顔を歪める。その顔からは顔を逸らして山吹は続ける。
そしてその慣れた状態が怖い。中枢と末梢は目的を同じとするが感知する方法は違うだろう?その血中に二酸化炭素が過度に溜まった状態であり、何らかの原因で息苦しさを感じている。そこで初期から多くの酸素を投与する。するとどうなるんだろう?
えぇと、酸素の減少で呼吸を深くしたり、速くしたりするんすよね?という事は酸素が満たされたら・・・呼吸は速くはならないんじゃないっすか?
その通りだな。末梢の受容体は酸素を感知するから。酸素が充足してきたと中枢に情報を送る。中枢はといえば二酸化炭素が高い状態に慣れてしまうから、呼吸は二酸化炭素を排出しようと速くはならずに更に二酸化炭素が体に溜まる。そしてやがては昏睡に至る。これがCO2ナルコーシスの一因だね。
でも・・・それにウチらが出来る事ってあるんすか・・・?
不安そうに見上げる白波に山吹は頷いてみせる。最初は医師が治療した後のリハビリテーションだと思っていた。だけども今はそうは感じない。
知っておく事が先ずは先決だな。四六時中医者や看護師が付き添っている訳ではないから、その前兆に気が付ける。そして呼吸不全だけの話ではないが、その急性増悪に伴う前兆が出る多くは運動負荷だからな。その時の情報は報告し、共有しなければならない。
それに悪化を防ぐ事もある程度出来る。状態を悪化させないための呼吸リハビリテーション、まぁ肺炎に対する治療と並行して痰を出す練習や介入を行う。呼吸方法だってそうだ、呼吸は自分でコントロールできるだろう?それに誤嚥から急性増悪する事も多いから普段からむせ込んで無いかの把握も必要だな。
なら生活指導もそうっすよね!自分の体の事は自分では分からないもんっすから、それを伝えて自分自身で自分に負担を与え過ぎないようにどうすれば良いか伝えるっす!
もちろん全てが防げる訳では無いがそれでも防げる事も確かにあるからな。それにはまず病態や急変に至るプロセスの把握が必要だ。まぁ今更言わなくても分かるだろうけど。
そうっすね、そうっすね・・・と白波は何度を手を組みながらそう答えている。また人を不安にさせる事を言ってしまう。こういう所は主任に似てしまったと山吹はため息を吐く。
まぁそんなに不安になりすぎる事は無いよ。風邪を引くような日常的にあるものでも無いし、それに病院では適切な処置をしてくれる。だけどもそうなら無いように定期的な受診や相談する事も必要だからそれを伝えないとな。
むー。でもリハビリをする上でも病院っすから何が起きてもおかしく無いっすね!情報を共有する意味でもしっかり勉強をしなきゃっすね!
当然だな。と言いたい所だけどそればっかりは経験しないと分から無い。だからおかしいなと思ったらすぐに薫や先輩に相談するように。
うっす!と白波は右手を大きく上げる。それを見て山吹はホッと胸を撫で下ろす。この明るい後輩にはそういう顔は似合わない。風に吹かれるように揺れる白波を見て山吹はそう思った。
白波百合のノート 80
・何らかの心肺機能に影響する場所が急性増悪した時、高度に二酸化炭素が血中に貯留する事がある。それは重篤である。
・患者様の状態や生活を知っておく、そしてその状態に合わせたリハビリを選択していく。←これについてはもっと勉強っす!
・自分が出来る事は思ったよりも多そうっす!
【これまでのあらすじ】
『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。
【これまでの話 その①】
【これまでの話 その② 〜山吹薫の昔の話編〜】
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ちなみに千奈美さんの第一話はこちらから
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