幕間の小噺 その⑤  〜セラピストで有る為の条件〜

総論

私はすっかりと夜の帳が降りたデスクにいる。

ICUでは病室から鳴るアラームは止まる事を知らない。

そんな中で私は再びカルテを開く。

そこには患者様が今ままで生きてきて、そしてこれからも生きていこうとする言葉が記されている。

時にはその命もまた失われていく。

激しく、そして時には緩やかに。

私はその記しを1文字も見逃す事の無いように丁寧に辿る。

そうしていると私もまだ誰かに必要とされていて、生きている事もまた実感できるような気がした。

私には両親は居ない。物心ついた時から存在しておらず、写真すらも残って居ない。

理由は分からない。だけども私は親や誰かとのつながり、そんな事は言葉の中でしか知らなかった。

自分と世界。その対比の中で生きてきて、そして早く自分だけで生きる為にこの仕事を選んだ。

もしかしたら他の道も有ったのかもしれない。

そうは思うのだけど、誰かに関わる事で自分の生を実感したかったとも今では思う。

あの時は生きるのに必死で、自立する事に必死で、そんな事を考える事は出来なかったのだけど。

カルテの中で誰かの人生を実感していると尚更それを思うのだ。

もしこの仕事でセラピストとして生きるのならば、全身全霊で他者を思い、自分の事などどこかに置いておく。

そして人とのつながりを知り、その愛おしさを感じながら生きていくのが正しいのだろうと思う。

私のように自分が生きている、生きていても良いのだと実感する為にこの仕事をしていると考えると、なんだか自分が欠陥品だと思ってしまう。

あまつさえ誰かのリハビリを通して、そして感謝されて、自己を肯定する。その間につながりだとか心からの関わりが存在する事が今でも正直理解は出来ない。

人としての何かが欠落している。

キャリアも資格もそれなりに積んだけれど、その気持ちだけはまだ消える事が無い。

ただ、あの救急科で過ごした日々は違った。少なくとも自分らしくは無く不思議なもので有ったけど、確かに誰かと繋がっていて、自分の人生の中ではひどく穏やかな時間だったと思う。

ただその時間を失わざる事を得ない事を知り、完全に失ってしまう事に恐怖して、別れも言わずにそこを去った。

もし一言だけでも、さよならを言えていたのなら、今の私は何を想うのだろうか。そう思ってしまうと思考は緩やかに過去のものへと戻っていく。

あの新人は今では十分にベテランと呼ばれる立場になっているのだろう。

あの共に働いていた賑やかな人たちもまた、それぞれの道を見つけているのだろう。

すっかり私だけが過去の人間になってしまったな。

私はそう思う。だけどもそ終わってしまったその話の余韻だけはいつまでも心地よく心の中で流れていた。

【〜目次〜】

『内科で働くセラピストのお話も随分と進んできました。今まで此処でどんなことを学び、どんな事を感じ、そしてどんなお話を紡いできたのか。本編を更に楽しむためにどうぞ。

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