言葉を交わすごとに夜は更けていく。一応BARの形式を取っているからこの店には時計は付けていない。だけどもそれは周りの空気として分かるのはなぜだろう。進藤守はそんな事を考えた。
とまぁ食べられない人に関してはざっとこんな感じかな。
そうですね。主に神経筋疾患と関連付けながら認知症や、頸部周りの筋力低下に関しても考慮する・・・といった事ですね。
まぁあくまで概論ではあるけれど、そう思っていれば異変に気が付く事ができる。
わかりました。それで・・・食べたくない状態というのはどういった事でしょうか?
ふむ。と進藤は酒棚に目をやる。その隅には王冠の形をしたボトルが薄い埃を身に纏いひっそりと置かれている。
食事をとりたくない。という事は単純ではない。幾つも要因があるね。まずは発熱など体で炎症症状が蔓延している場合。交感神経が優位でありストレスに抗するホルモンが多く分泌されている。そんな状況ではお腹は空かない。相対的に血中の血糖値も上がっているからね。
確かに手術の後や熱を出している時は、とてもじゃないけど食事を取ろうなんて気持ちにはならないような気がします。
そうだね。他にも口腔内環境が整っていない場合。そのなんだ・・・変な話だけど朝起きて口の中が気持ちの悪いのに食事を取ろうとなんか思わないだろう?
それは・・・そうですね。
そして、脱水症状が進行していても食事は取りたくなくなる。口腔内が乾燥していたら当然食事の味覚も変化するし、何よりも脱水症状に対しての治療も必要となる。
ふむ。とグラスに口を付けながら上代は頷いている。理学療法士さんにこんなに食事の話をするなんていつぶりだろう。そんな風に進藤は思う。
他にも例えば消化管に関する疾患に罹患していると当然食事は取りたくはなくなる、術後でもそうだね。他にも腸管浮腫と言って心不全の進行に伴い腸管が浮腫んで食事をとりたくなくなるし、吸収する力も落ちてしまう事もある。
飲み込んだその先の機能が低下していると、やっぱり食事は取りたくなくなるものなのですね。
まぁそういう事だね。そしてただ単に疲れていると食事は取りたくなくなるのは皆んな一緒だね。精一杯体を動かして沢山食べるのは、体力の満ち溢れている若い時にしかできない。
私はまだ余り想像できないですが、食事の前まで沢山リハビリしてしまうとやはり疲れて食べられなくなるかもしれませんね。
上代は真剣に一言一言聞いている。流石に薫のように食ってかかったりはしないかと進藤は笑みを浮かべ少しだけ昔の思いにふける。
他にも前に少し百合から聞いたのですが食事姿勢も影響するのですね?
それは俺らの生活も考えてみても分かり易いし当たり前に感じる事だよ。例えばベッドに寝たまま一食分の食事を取ろうとは思わないし、椅子が不安定な状態では食事に集中する事もできない。ましては低い車椅子から高いテーブルに手を伸ばしてすくい上げて口に下ろして食べる。なんてしていたら食べている間に疲れてしまう。
それはそうですね。やはり車椅子や椅子などで食事をとる姿勢を普段の自分達に近付ける。当たり前ですが必要ですね!
そうだね。ならそれは理学療法士さんにお任せするよ。
はい!と上代は頬を上気させる。なんとも良い子だと進藤は瞳を緩ませる。薫と最初話した時はこんな風じゃなかったし、むしろ噛み付くような目線で俺の話を聞いていたなと思う
そして薬剤の影響も当然に見られる。それは医師が調整してくれるから俺らはその判断が行える様な情報を提供する必要はあるけど、日常生活場面でしっかり関わる事も必要なんだよ。
その例えば癌の治療中の方もですか?
そうだね。病院での食事の内容を変える事は昔に比べると多少は融通が効く様にはなってきているはずだから、例えば濃い味が受け付けなくなったら柑橘の香りや、許す範囲での塩っ気を足す等の工夫が必要となる。これには国立癌研究センターや他の癌のスペシャリスト達が資料を公開しているから、一度調べてみると良いよ。日常生活上でも参考になる。
それは参考になりそうですね。調べてみます!
その頃は自分もまた新人だったから、そんな気持ちは忘れているけれど何だか百合ちゃん達と話していると、昔の気持ちを思い出してしまうのもまた良い事なのだろうと思う。
そして当然病院食、特に治療食が自分の口に合わないという事も多い。当然だね。普段自分で選んでいた味付けのものが食べられなくなるんだから。トロミをつけたお茶は必要性は高いが人気は乏しい
それはよく聞きますね。そして百合と咲夜にお出ししたそうですね。
クスクス笑いながら上代はそう言って、そうだったかな?と進藤は首を傾げる。確かにあの日も楽しい日だったと思う。
とにかく食事を食べたくなくなる人の原因は神経筋疾患に伴わない病状や合併症、そして食事の姿勢や体力といった部分の問題が多いと思うよ。もちろんその二つが合併する事も多い。最初に話したプロセスの認知期や口腔期の問題が多いと俺は思うかな。
当たり前ですが、入院中には不自由な事も多いし患者とセラピストと考えてしまうと普段なら思い付きそうな事が思い付かないものですね。
そういうものだよ。ある意味病院は特殊な社会だからね。そして食べたくなくなる理由は自分に当てはめてみると分かりやすい。そして本当に多岐に渡り話したのはほんの一部ということを忘れない様にね。さて・・・次は何を飲む?
そうですね。と上代は細く長い人差し指で酒棚を指差しながらなぞる。夜の闇に反比例して昔の気持ちは色濃くあたりを漂い始める。進藤はそんな事を考えた。
上代葉月の手帳 3
・食べられない人は口腔内の環境をチェック、脱水症状や他の疾患の進行度合いも大きく影響する。
・食べられない人の問題の認知期や口腔期を意識して評価する。病院という社会に当てはめず、自分たちに当てはめて自由に食事について考える。
・右隅にある・・・古い王冠の様なボトルは何だろう?
コメント